24の命題
24 thèses métaphysiques
1. Ratio est in Natura, cur aliquid potius existat quam nihil. Id consequens est magni illius principii, quod nihil fit sine ratione quemadmodum etiam cur hoc potius existat quam aliud rationem esse oportet.
1 実在界(自然)が有する理由の故に、或る何かは、存在しないよりは、むしろ存在するのである。このことは、何ものも理由なくして存在しないという最大の原理から、その帰結として導き出されることである。そして同様に、このものが、むしろ他のものとしてでなく、まさしくこのものとして存在する理由が存在している。
2. Ea ratio debet esse in aliquo Ente Reali, seu causa. Nihil aliud enim causa est, quam realis ratio; neque veritates possibilitatum et necessitatum (seu negatarum in opposito possibilitatum) aliquid efficerent nisi possibilitates fundarentur in re actu existente.
2 この理由が見出されるのは、実在的存在物、すなわち原因においてである。なぜならば理由とは、実在的理由のことに他ならず、諸可能性と諸必然性(すなわち可能性の反対対立において否定せられた可能性)の真理は、可能性が現実的に存在する事物に基づいているのでなければ、いかなる結果も生じさせないからである。
3. Hoc autem Ens oportet necessarium esse, alioqui causa rursus extra ipsum quaerenda esset cur ipsum existat potius quam non existat, contra Hypothesin. Est scilicet Ens illud ultima ratio Rerum, et uno vocabulo solet appellari DEUS.
3 ところでこの存在物は必然的に存在しなければならない。それなくしては、それが存在しないのではなく、むしろ存在していることの理由を、この必然的存在物以外のものに見出さねばならないだろう。しかしこのことは仮定に反することである。それ故、この存在物は、実在物の究極理由であり、一言で言うならば、神と呼ばれてきたものである。
4. Est ergo causa cur Existentia praevaleat non-Existentiae, seu Ens necessarium est EXISTENTIFICANS.
4 従って、実在物が非実在物に優るものであるとする原因とは、言い換えれば必然的存在物とは現実原因者である。
5. Sed quae causa facit ut aliquid existat, seu ut possibilitas exigat existentiam, facit etiam ut omne possibile habeat conatum ad Existentiam, cum ratio restrictionis ad certa possibilia in possibilia in universali reperiri non possit.
5 しかし、何ものかの存在を引き起こすこの原因、あるいは可能的なものどもをして現実存在を欲し求めるようにするこの原因は、可能的なものすべてが現実存在への傾向を有するように働いてもいる。というのも、この傾向が、可能的なものどもの中で、特定の可能的なものにのみ制限される理由は、一般には見出され得ないからである。
6. Itaque dici potest Omne possibile EXISTITURIRE, prout scilicet fundatur in Ente necessario actu existente, sine quo nulla est via qua possibile perveniret ad actum.
6 それ故、すべての可能的なものが未来には現実存在すると言うことができる。すなわちそれは、すべての可能的なものが現実に存在する必然的存在者に基づけられており、この存在者なくしては、可能的なものが現実に至るいかなる道も存在しないということに従っているのである。
7. Verum hinc non sequitur omnia possibilia existere : sequeretur sane si omnia possibilia essent compossibilia.
7 しかし、すべての可能的なものが現実存在するということが、ここから帰結されるのではない。それがいやしくも帰結するとすれば、すべての可能的なものどもが、共可能的なものであるというときだけであろう。
8. Sed quia alia aliis incompatibila sunt sequitur quaedam possibilia non pervenire ad existendum, suntque alia aliis incompatibilia, non tantum respectu ejusdem temporis, sed in universum, quia in praesentibus futura involvuntur.
8 しかしながら、他の可能的なものと両立不可能であることから、或る可能的なものが現実存在に至ることになるというのではない。他のものが他のものに両立不可能であるのは、ただそれら相互の共通時点においてのみのことだけでなく、普遍的な仕方でなのである。というのも、現在のものどもには、未来のものどもが含まれているからである。
9. Interim ex conflictu omnium possibilium existentiam exigentium hoc saltem sequitur, ut existat ea rerum series, per quam plurimum existit, seu series omnium possibilium maxima.
9 現実存在を欲っしているすべての可能的なものども同士の対立から、少なくとも次のことが導き出される。すなわち、より多くの事物が存在せしめる系列、言い換えれば、すべての可能的なものどもの最大の系列が存在している。
10. Haec etiam Series sola est determinata, ut ex lineis recta, ex angulis rectus, ex figuris maxime capax, nempe circulus vel sphaera. Et uti videmus liquida sponte naturae colligi in guttas sphaerica, ita in natura universi series maxime capax existit.
10 そして、この系列は規定された唯一のものである。それはちょうど様々な線のなかにおける直線、様々な角のなかにおける直角、様々な図形のなかにおける最大の面積のもの、すなわち円あるいは球体がそうであるのと同様にである。そして、液体が、その自発的本性より、球状の粒に凝集するのが見られるように、そのように系列は、普遍的自然のうちに、その最大の広がりをもって存在するのである。
11. Existit ergo perfectissimum, cum nihil aliud perfectio sit, quam quantitas realitatis.
11 それ故、最も完全なものが現実存在となるのである。なぜなら、完全性とは実在性の程度以外の何ものでもないからである。
12. Porro perfectio non in sola materia collocanda est, seu in replente tempus et spatium, cujus quocunque modo eadem fuisset quantitas, sed in forma seu varietate.
12 更に、完全性はただ質料(物質)のみにおいて、あるいは時間と空間との充満において見出されるのではなく、これらそれぞれにも同じだけの実在性程度があるのであるが、しかしそれは形相あるいは多様性の中にもあるのである。
13. Unde jam consequitur materiam non ubique sibi similem esse, sed per formas reddi dissimilarem, alioque non tantum obtineretur varietatis quantum posset. Ut taceam quod alibi demonstravi, nulla alioque diversa phaenomena esse extitura.
13 そこから最初に帰結するのは、質料はいかなる点でも自己同一性を持たず、形相によって差異を与えられているのである。さもなくば、可能な限りの多様性を獲得することはできないであろう。そして、他所ですでに証明したことであるから言うまでもないが、それ以外の仕方では現象の多様性が存在することはない。
14. Sequitur etiam eam praevaluisse seriem, per quam plurimum oriretur distinctae cogitabilitatis.
14 更にそこから帰結するのは、この系列が優勢的なものであるということであり、この系列によって判明に思惟されうるものの最大の程度が生まれるのである。
15. Porro distincta cogitabilitas dat ordinem rei et pulchritudinem cogitanti. Est enim ordo nihil aliud quam relatio plurium distinctiva. Et confusio est, cum plura quidem adsunt, sed non est ratio quodvis a quovis distinguendi.
15 それに加えて、判明に思惟可能なものどもが事物に対しては秩序をもたらし、思惟するものに対しては美をもたらすのである。なぜならば、秩序は、それによって多数の事物が区別されるところの関係以外のなにものでもないからである。秩序なき混乱とは、多数の事物が現前しているのに、それらを互いに区別する方法が見出されないときに生ずるものなのである。
16. Hinc tolluntur atomi, et in universum corpora in quibus nulla est ratio quamvis partem distinguendi a quavis.
16 そしてこのことから、原子の存在は否定せられることになる。さらに一般的に、その諸部分相互を区別することのできない物体の存在もまた否定せられる。
17. Sequiturque in universum, Mundum esse Kosmon, plenum ornatus; seu ita factum ut maxime satisfaciat intelligenti.
17 更に次のことも帰結する。すなわち宇宙はコスモス、装飾の充ち充ちたものである、言い換えれば、知性的作用を行使するものを、最大限に満足させるよう、宇宙は作られている。
18. Voluptas enim intelligentis nihil aliud est quam perceptio pulchritudinis, ordinis, perfectionis. Et omnis dolor continet aliquid inordinati sed respective ad percipientem, cum absolute omnia sint ordinata.
18 というのも、美、秩序、完全性を知覚することこそ、知性者の歓びとするものだからである。そしてすべての苦痛は、少なくとも知覚者にとっての無秩序を含んでいる。けだしすべてのものは秩序のうちにあると言って過言ではないのである。
19. Itaque cum nobis aliqua displicent in serie rerum, id oritur ex defectu intellectionis. Neque enim possibile est, ut omnis Mens omnia distincte intelligat; et partes tantum alias prae aliis observantibus, non potest apparere Harmonia in toto.
19 それが故に、我々が事物の系列に何か不快を感じするとすれは、その不快は知性的能力の不完全から生じたのである。それは、あらゆる精神がすべてのものを判明に知性把握できるという訳ではないからであり、また、他の部分でなくて、むしろ或る部分のみを観察している精神に対して、調和の全貌が姿をあらわすことはあり得ないからである。
20. Ex his consequens est in Universo etiam justitiam observari, cum justitia nihil aliud sit, quam ordo seu perfectio circa Mentes.
20 これら以上のことから帰結するのは、宇宙のうちに正義もまた見出されるということである。というのも、正義とは精神をめぐる秩序あるいは完全性に他ならないからである。
21. Et Mentium maxima habetur ratio, quia per ipsas quam maxima varietas in quam minimo spatio obtinetur.
21 だが精神の理性は最大のものである。なんとなれば、まさにこの理性によって精神は最小の広がりにおいて最大の多様性を獲得するからである。
22. Et dici potest Mentes esse primarias Mundi unitates, proximaque simulacra Entis primi, distincte percipiunt necessarias veritates, id est rationes quae movere Ens primum, et universum formare debuerunt.
22 更に精神は、宇宙の始原的統一、原初的存在者の最も忠実な像であると言うことができる。というのも精神は必然的真理を、すなわち第一存在者を動かして、宇宙の形成に赴くべきところの諸理由を判明に知覚するからである。
23. Prima etiam causa summae est Bonitatis, nam dum quantum plurimum perfectiones producit in rebus, simul etiam quntum plurimum voluptatis mentibus largitur, cum volptas consistat in perceptione perceptionis. (Sic pour perfectionis, note par Ed.)
23 なんとなれば、第一原因は至高の美を備えているからである。第一原因は、事物のうちに完全性をもたらせばもたらすほど、同時に精神を歓びで充たしていく。歓びは完全性の知覚に存するからである。
24. Usque adeo, ut mala ipsa serviant ad majus bonum, et quod dolores reperiuntur in Mentibus, necesse sit proficere ad majores voluptates.
24 以上述べられてきたことすべてが真であるならば、悪それ自身ですら、最大の善に寄与するものであり、精神のうちに見出される苦しみすらも必然的に最大の歓びに寄与するものであることになろう。ライプニッツ Part2
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