Jacques Derrida

ジャック・デリダ(1930-)

ブランショがなくなりました。デリダの追悼文はここです。

講談社メチエで『デリダ』が出ました。読みましょう。

1970198019902000><解説書><研究書


著作

Le Problème de la genèse dans la phénoménologie de Husserl, PUF, 1990.
デリダが50年代に書いた学位論文。すでにレヴィナスに異議を唱えていたりする。

Husserl, L'Origine de la géométrie, PUF, 1962.(「フッサール『幾何学の起源 』への序説」田島節夫ほか訳、青土社、1967年。2003年。
フッサールの翻訳にデリダは長い注を付けた。当然読む価値はある。新版がでました。

L'écriture et la différence, Le Seuil, 1967.(『エクリチュールと差異』()若桑毅ほか訳、法政大学出版局、1977、83年。)
力と意味作用」では構造主義に対して起源と生成の哲学を対置する。この起源という概念がエクリチュールの問題と結びつくのがデリダの特色。これは『幾何学の起源』読解からえられた問題なのでした。

La Voit et le phenomène: introduction au probleme du signe dans la phenomenologie de Husserl, PUF, 1967.(『声と現象―フッサール現象学における記号の問題への序論』高橋允明訳、理想社、1970年。
『論理学研究』の第一研究を精密に読んでいて勉強になる。 生き生きした現在とは記号の働きであるとするその解釈は事象そのものの鋭いときあかしであり、とくにレヴィナスに多大な影響を与えた。

De la grammatologie, Minuit, 1967.(『根源の彼方に―グラマトロジーについて』(上、下)足立和浩訳、現代思潮社、1972年。)
デリダの主著。これを読まないことにははじまらない。後半のほうが面白いかも。

「もし形而上学の歴史が存在を現前と規定することの歴史であるならば、またもしその冒険がロゴス中心主義の冒険と一つになり、隅から隅まで痕跡の還元として生み出されるとすれば、ルソーの作品は、プラトンの「パイドロス」とヘーゲルの「エンチクロペディー」との間にあって一つの独特な位置を占めるように思われる。この三つの目印が意味するものは何か。
 現前のモティフは、音声=ロゴス主義(あるいはロゴス中心主義)の開始とその哲学的完成との間で、決定的な仕方で分節された。それは内的変容を蒙ったが、その最も顕著な指標はデカルト的コギトにおける確実性の契機であろう。反復の支配に委ねられた現前の同一性は、すでに形相(エイドス)の観念性の、あるいは現存(ウーシア)の実体性の、「客観的」形式のもとに構成されていた。それ以来この客観性は、自己に現前的な実体の、また<自己への関係>の瞬間に自己を意識し自己を確信している実体の、変容としての再現前化、観念[イデア]という形式をとる。その形式の最も一般的なものの内部においては、現前の支配は一種の無限の確信を獲得する。エイドスとウーシアが処理可能なものとした反復の力は、絶対的な独立を獲得するように思われる。観念性と実体性とは、<考えるもの(レス・コギタンス)>の境位の中で、純粋な自己触発の運動によって相互に関わり合う。意識は純粋な自己触発の経験である。それは絶対に誤ることがないと自称する。自然の光[理性]の諸公理がそれにこの確実性を与え、<邪意ある霊>(Malin Genie)の挑戦を克服し、神の存在を証明するのは、その諸公理が思惟と<自己への現前>との境位そのものを構成するからである。<自己への現前>は、その諸公理の神的起源によってかき乱されることはない。神的実体の無限の他在性は、<自己への関係>の透明性における、自己触発の純粋性における、媒介あるいは不透明性の一契機として調停されるのではない。神は、絶対的に純粋で絶対的に自己現前的である自己についての知を可能にするものの名称である。神の無限の悟性は、デカルトからヘーゲルにいたるまで、またこの時代の構造におけるさまざまな場所や契機を区別するあらゆる差異にもかかわらず、<自己への現前>としてのロゴスの別名である。ところでロゴスが無限であり自己現前的で有り得るのは、ただ声を通してのみであり、またそれは声を通してのみ自己触発として生みだされることができる。主体を自己から自己へと赴かせる声というこの<意味するもの>の秩序は、主体が発すると同時に主体を触発しもする<意味するもの>を、その主体以外のものからは借り受けない。これが少なくとも声の経験ーーあるいは意識ーーであって、つまり「自分が=語るのを=聞く」ということである。この経験は、文字言語(エクリチュール)の排除として、つまり<自己への現前>を中断する「外的」、「感覚的」、「空間的」な<意味するもの>への依拠の排除として、生きられまた語られるのである。
 ところで、形而上学のこの時代の内部において、つまりデカルトとヘーゲルの中間にあって、たしかにルソーは、この時代全体を通じて根本的に内含されているような文字言語(エクリチュール)の還元[切り捨て]を主題にし体系づけた唯一のあるいは最初の人である。」(「根源の彼方にーーグラマトロジーについて」、足立和浩訳、現代思潮社、上巻203〜5ページ)

1970年代

Marges, de la philosophie, Minuit, 1972.(「ラ・ディフェランス」高橋允昭訳、『理想』、1984年11月号。「竪穴とピラミッド」高橋允昭訳、『現代思想』、1973年1、2月号。「人間の目的=終末」高橋允明訳、『現代思想』、1979年9月臨時増刊号。「ジュネーヴの言語学サークル」高橋允昭訳、『現代思想』、1973年10月号。「形式と意味作用」高橋允昭訳、『現代思想』、1974年8-10月号。「繋辞の代補」高橋允昭訳、『現代思想』、1981年7、10月号。「白けた神話」豊崎光一訳、『世界の文学  現代評論集』38巻、集英社。「苦悩・源泉――ヴァレリーの諸源泉」佐々木明訳、『筑摩世界文学大系56』、筑摩書房。「署名・出来事・コンテクスト」高橋允昭訳、『現代思想』、vol. 16-6、1988年5月臨時増刊号。)(『哲学の余白』法政大学出版局、2004年刊行予定)
全訳が待たれる主著。翻訳はかなりあるが、「ウーシアとグラメー」と「タンパン」 だけはない。

La Dissémination, Le Seuil, 1972.(「プラトンのパルマケイアー」、高橋允昭訳、『現代思想』、1975年3月号。)
いわゆる『散種』。エクリチュール論のなかでは最も重要かも。マラルメ論とか。

Positions, Minuit, 1972.(『ポジシオン』、高橋允昭訳、青土社、1981年。
対談集。入門用とは言えないほど難しい。でも発言は面白いよ、やっぱり。

「哲学を<脱構築>するとは,歴史的由来をもって構造化されている哲学的諸概念を用いて最も忠実かつ内在的に仕事をしながら,他方では哲学では名づけることも記述することもできないある外部の視座にたって,この哲学的諸概念の歴史が,利益がらみの抑圧をすることによってみずから歴史たらしめたさいに隠蔽しあるいは排除してきたものは何か,それを見きわめることである」

L'Archéologie du frivole, Denoel/Gonthier, 1973.1990.
コンディヤック論。フーコー批判にもなっているらしい。

Glas, Galilée, 1974.「弔鐘」、鵜飼哲訳、『批評空間』にU-15よりIII-3まで連載。「性的差異と死」、『 現代思想』1987年11月号。)
隠された超力作。ヘーゲルとジュネ論。贈与の問いなど、後年重要になってくる問いの最大の源泉。実は、ラカンの去勢に関する問題を、贈与の問題と結びつけつつ思考し直そうとする努力が、両方の論の伏流となっている。

"Economimesis", in Mimesis, Aubier-Flammarion, 1975.(『エコノミメーシス』未来社、2004年刊行予定)
……

"Ou commence et comment finit un corps enseignant", in Politiques de la Philosophie, Grasset, 1976.

"Fors", préface à Le verbier de l'Homme aux loups, N. Abraham & M. Torok, Aubier-Flammarion, 1976.「Fors」、若森・豊崎訳、『現代思想』、1982年2月臨時増刊号。)
デリダのCrypte理解を示す。アブラハム&トロックとの関連は以外と重要らしい。

Limited Inc., a, b, c,, Galilée, 1977.(「有限責任会社abc」、高橋哲哉・増田一夫訳、『現代思想』、1988年5月臨時増刊号。「有限会社(後書きの脚注1)」『カイロス』1991年29号。)(『有限責任会社』高橋哲哉・宮崎裕助・増田一夫訳、法政大学出版局、2003年。
いわゆるデリダ=サール論争ってやつです。デリダってきっとマゾだと思う。

Eperons, Les styles de Nietzsche, Flammarion, 1978.(『尖筆とエクリチュール―ニーチェ・女・真理』白井健三郎訳、朝日出版社、1979年。絶版。)
デリダの女性論。最近出た翻訳の『ニーチ ェは今日?』でこれの元ネタとなった発表が読める。

La Vérité en peinture, Flammarion, 1978.(『絵画における真理』(・下)高橋允昭ほか訳、法政大学出版局、1997、98年。
ハイデガーの「芸術作品の起源」の批判的読解など。デリダの絵画論。

1980年代

La Carte postale, de Socrate Freud et au delà, Aubier-Flammarion, 1980.(「真実の配達人」、清水・豊崎訳、『現代思想』、1982年2月臨時増刊号。「送る言葉」の部分訳、豊崎光一訳、『海』、1981年3月号。)
東浩紀によって分析された『郵便葉書』。デリダat精神分析の中心的な文献。

L'Oreille de l'autre, 1982.(『他者の耳―デリダ「ニーチェの耳伝」・自伝・翻訳―』浜名・荘田訳、産業図書、1988年。)
ふたたびのニーチェ論。これも難しいんだよね。

D'un ton apocalyptique adopt naguére en philosophie, Galilée, 1983.(『哲学における最近の黙示録的語調について』白井健三郎訳、朝日出版社、1984年。)
もうすでに倫理的なデリダの登場か。

Otobiographies, L'enseignement de Nietzsche et la polotique du nom propre, Galilée, 1984.
三たびニーチェ論。デリダのニーチェってあんまり論じられないテーマではある。

Lecture de Droit de regards, de M.-F. Plissart, Minuit, 1985.(『視線の権利』マリ=フランソワーズ・プリサール写真、鈴村和成訳、哲学書房、1988年。

"Préjugés-devant la loi" in La faculté de juger, Minuit, 1985.(ジャン=フランソワ・リオタールほか著『どのように判断するか:カントとフランス現代思想宇田川博訳、国文社1990年。『カフカ論―「掟の門前」をめぐって』、三浦信孝訳、朝日出版社、1986年。)
デリダのカフカ論。あんまり満足しなかった記憶がある。どうなんだろ。

"Forecener le subjectile" in Antonin Artaud, Dessins et Portrait, 1986.(ポール・テヴナン編、『デッサンと肖像』松浦寿輝訳、みすず書房、1992年。)(『基底材を猛り狂わせる』松浦寿輝訳、みすず書房、1999年。

Schibboleth, pour Paul Celan, Galilée, 1986.(『シボレート:パウル・ツェランのために』飯吉・小林・守中訳、岩波書店、1990年。
デリダの中でも最も美しい本と評判だけど、やっぱり難しいのよね。

Parages, Galilée, 1986.(「境界を生きる」の英語からの部分訳、大橋洋一訳、『ユリイカ』、19864月号。「ジャンルの掟」野崎次郎訳、W.J.T.ミッチェル編『物語について』平凡社、1987年。「Pas」
はじめてのまとまったブランショ論。数少ないブランショ論のなかでも(?)トップレベル。

Feu la cendre, Des Femmes, 1987, en poche 2001.(『火ここになき灰』梅木達郎訳、松籟社、2003
これはなぞめいたテクストだが、以外と重要な地位を与えられているのだ。

Ulysse gramophone; Deux mots pour Joyce, Galilée, 1987.(『ユリシーズ・グラモフォン ジョイスにささげる二言』、合田ほか訳、みすず書房、2001年。
とうとう訳されたジョイス論。デリダってジョイス狂いなんだね。

De l'esprit, Heidegger et la question, Galilée, 1987.(『精神について―ハイデガーと問い』港道隆訳、人文書院、1990年。
さて重要なハイデガー論。

Psyché, Inventions de l'autre, Galilée, 1987, mar. 1998(Tome 1).(「隠喩の引−退」、『現代思想』、1987年5、6月号。「バベルの塔」高橋允昭訳、『理想』、1984年1、2、3、5、6月号。『他者の言語』「ロラン・バルトの複数の死(者)」、『楽しい知識』、1号、1984年。「<地獄の黙示録>、そうではなく、今ではなく」、『エピステーメー』、U-0号、1984年。)
(「Geschlecht―性的差異、存在論的差異」高橋允昭訳、『理想』、1985年7、10月号。
「<解体構築>DECONSTRUCTIONとは何か」、丸山訳、『思想』1984年4月号。)
これも重要な論集。新版ではゲシュレヒトは除かれている……のはなぜ?

Mémoires, pour Paul de Man, Galilée, 1988.(第二部「貝殻の奥に……」の部分訳、『現代思想』、1989年4月臨時増刊号。)
ド・マン論。デリダとド・マン関係も重要な論点ですね。

Signéponge, 1988.

J・デリダほか著『この男 この国  ネルソン・マンデラに捧げられた14のオマージュ』鵜飼哲ほか訳、ユニテ

1990年代

Du droit à la philosophie, Galilée, 1990.(『哲学の権利/法から哲学へ』、みすず書房より刊行予定。部分訳『ヘーゲルの時代』、白井健三郎訳、日本ブリタニカ、1994年。)

Mémoires d'aveugle, L'autoportrait et autres ruines, Réunion des musées nationaux, 1990.(『亡者の記憶―自画像およびその他の廃虚』、鵜飼哲訳、みすず書房、1998年。
そういえばこんなのも訳されていたなあ……

"Interpretations at war. Kant, le Juif, l'Allemand", 1990.「INTERPRETATIONS AT WAR カント、ユダヤ人、ドイツ人」、鵜飼哲訳、『現代思想』、1993年5〜8月。

L'Autre cap / suivi de La Démocratie Ajournée, Minuit, 1991.(『他の岬―ヨーロッパと民主主義』、高橋哲哉・鵜飼哲訳、みすず書房、1993年。
政治的デリダの登場。世間をあっと驚かせた。ヨーロッパのresponsabiliteとは?

"Circonfession" in Jacques Derrida, Le Seuil, 1991.(『ジャック・デリダ』、みすず書房より刊行予定。)
翻訳が進行中。アウグスティヌスの『告白』論とからしいです。

Donner le temps 1. La fausse monnaie, Galilée, 1991.(『時間を与える―贋金』、みすず書房より刊行予定。)
ハイデガーの贈与とモースの贈与。デリダ倫理学の中心点かも。

Points de suspensions,: entretiens, choisis et presentes par Elisabeth Weber, Galilée, 1992.(「<正しく食べなければならない>あるいは主体の計算」鵜飼哲訳、『主体の後に誰が来るのか』、現代企画室。「パサージュ」守中高明訳、『現代思想』、1995年2月号。「詩とは何か」鵜飼・湯淺訳、『現代詩手帖』、1990年6月号。)
「<正しく食べなければならない>」には感動しました。レヴィナスを越えようとするデリダ 。食べるの問題系はどうなった?

Passions, Galilée, 1993. (『パッション』湯浅博雄訳、未来社、2001年

Sauf le nom, Galilée, 1993. (『名を救う』小林康夫訳、未来社、2005年

Khora, Galilée, 1993. (『コーラ プラトンの場』守中高明訳、未来社、2004年
デリダの『ティマイオス』論。久しぶりにプラトンを正面切って論じた重要な本。

Spectres de Marx: L'état de la dette, le travail du deuil et la nouvelle Internationale, Galilée, 1993.(『マルクスの亡霊たち』 )
デリダの言う喪の作業とはどういうものなのか?

Politiques de l'amitié: suivi de L'oreille de Heidegger, Galilée, 1994. (『友愛のポリティックス1・2』鵜飼・大西・松葉訳、みすず書房、2003年
「この狂った『真実』」守中高明ほか訳、『現代思想』、1998年11月臨時増刊号。
「ああ友よ。友はいない。」をニーチェはどう読んだか? 友愛論。「ハイデガーの耳」も。

Force de loi, Le Fondement mystique de l'autorit , Galilée, 1994.(『法の力』堅田研一訳、法政大学出版局、1999年。
デリダの法哲学。インパクトは大きい。法学関係に脱構築派を生み出したらしい。

Mal D'archive, Une impression freudienne, Galilée, 1995.「フロイトの印象」

Moscou aller-retour suivi d'un entretien avec N. Avtonomova, V. Podoroga et M. Ryklin, L'Aube, 1995.(『ジャック・デリダのモスクワ』、夏目書房、1996年。

Apories: Mourir-s'attendre aux "limites de la vérité", Galilée, 1996. (『アポリア』港道隆訳、人文書院、2000年。)
『存在と時間』の死の議論からハイデガーの真理論を脱構築する。うーん……

Résistances, de la psychanalyse, Galilée, 1996.(「抵抗」鵜飼哲訳、『みすず』、1996年7、8、9月号。「ラカンの愛に叶わんとして」守中高明・高木繁光訳、『イマーゴ』、1994年2月臨時増刊号。「フロイトに公正であること」石田英敬訳、『批評空間』、1994年1、2号。)

Le Monolinguisme de l'autre, Galilée, 1996.(『たった一つのわたしのものでない言葉・他者の単一言語使用』、守中高明訳、岩波書店、2001年。
デリダの言語論。

La religion, de Séminaire de Capri, 1996.(『宗教』湯淺・廣瀬訳、未来社より刊行予定。)

Jacques Derrida, Micaëla Henich, Lignées ; MILLE E TRE NO5, mar. 1996.

Jacques Derrida, Bernard Stiegler, Echographies de la télévision, oct. 1996.(『テレビのエコーグラフィー デリダ〈哲学〉を語る』

Cosmopolites de tous les pays, encore un effort!, Galilée, 1997.(「万国の世界市民たち、もう一努力だ!」、港道隆訳、『世界』、1996年11月号。)

Le droit à la philosophie du point de vue cosmopolitique, Verdier, édition Unesco, 1997.

Marx en jeu, Descartes, 1997.

De l'hospitalité, Calmann-Levy, 1997.(『歓待について―パリのゼミナールの記録―』廣瀬浩司訳、産業図書、1999年。)
デリダの歓待論。歓待とはクセノス(異人)をクセノスとして無条件に無限に受け入れること。

Adieu à Emmanuel Lévinas, Galilée, 1997.
レヴィナスを歓待論として読み、その射程を計る。主に『全体性と無限』の二章とかを読んでいる。

Demeure. Maurice Blanchot, Galilée, 1998.(『滞留』(付:ブランショ『私の死の瞬間』)湯淺博雄ほか訳、未来社、2000年。)
再びブランショ論。これは読みやすいし面白い。ブランショ入門としても読めるし。

Jacques Derrida, Helene Cixous, Voiles, sep. 1998.

Le Toucher, Jean-Luc Nancy, oct. 1998.
ナンシー論。力作らしい。そしてなぜか『千のプラトー』論なんかも。しかし実はメルロ=ポンティ批判らしい。

Donner la mort, Galilée, 1999.(『死を与える』
文学論の系譜に連なる最も最近のもの。特に後半のカフカ論。前半はキルケゴールの「おそれとおののき」読解です。

Contre-allée, Quinzaine littéraire, 1999.

Sur Parole-instantanés philosophiques, L'Aube, 1999.(『言葉にのって:哲学的スナップショット』森本和夫ほか訳、ちくま学芸文庫、2001年。

Voyager avec Jacques Derrida - La Contre-allee de Jacques Derrida, Catherine Malabou. mai. 1999.

2000年代 

Jacques Derrida, Saffa Fathy, Tourner les mots ; AU BORD D'UN FILM, mar. 2000.

Jacques Derrida, Etats d'ame de la psychanalyse, oct. 2000.

Jacques Derrida, et al, Comment vivre ensemble, jan. 2001.

Foi et savoir ; le siecle et le pardon, Seuil.2001.「信仰と知」、『批評空間』第II期11、12号、1996年。「世紀と赦し」鵜飼哲訳、『現代思想』、2000年。)
デリダの宗教論。

Jacques Derrida & GAD SOUSSANA & ALEXIS NOUSS, DIRE L'EVENEMENT, EST-CE POSSIBLE ? - SEMINAIRE DE MONTREAL POUR JACQUES DERRIDA, L'harmattan, 2001.2

Jacques Derrida & SIMON HANTAI & JEAN-LUC NANCY, LA CONNAISSANCE DES TEXTES, Galilee, 2001.05

Elisabeth ROUDINESCO &Jacques Derrida, De Quoi Demain..., Fayard, 2001.09(『来るべき世界のために』藤本一勇・金澤忠信訳、岩波書店、2003年。)

ATLAN : Gallimard, 2001.10

L'UNIVERSITE SANS CONDITION, Galilee, 2001.10

Papier machine : Limited inc, ii, Galilee, 2001.10(『パピエ・マシン』

Fichus - Discours de francfort a l'occasion du prix adorno, Galilee, 2002.03.(『フィシュ アドルノ賞記念講演』逸見龍生訳、白水社、2003年。
デリダがアドルノ賞をもらった時の講演。ルモンドディプロマティックにも載った。

Artaud le moma, Galilee, 2002.03.
ニューヨーク近代美術館でなされた発表らしい。

Jacques Derrida, Antoine Spire, Au-delà des apparences, Bord de l'eau, septembre 2002

Marx & Sons, (15 novembre 2002)(Ghostly Demarcations: A Symposium on Jacques Derrida's "Specters of Marx"by Michael Sprinker (Introduction), Verso Books, May 1, 1999) (『マルクスと息子たち』國分功一郎訳、岩波書店、2004
『マルクスの亡霊』をめぐってなされたコロックの記録。対話者は主にマルキスト。

H. C. pour la vie, c'est-à-dire…, (20 novembre 2002)

Voyous, (9 janvier 2003)(鵜飼・高橋訳『ならずもの』)
国家論とフッサールの『危機』論。現代の世界状況が問題とされている。特に前半はデリダの国家論として重要。翻訳も準備中。

Psyche, edition revue et augmentee, t.II, Galilee, 2003.
新版の第二部。Interpretation at warが追加されたらしい。旧版のハイデガー論はこっちなんだろうね。

Parages, nouvelle edition revue et augmentee, Galilee, 2003
2003年の
ブランショシンポジウムでの公演論文が追加された新版らしい。ここで聞くことができるかもしれないんだけど……

Chaque fois unique la fin du monde, Galilee, 2003. (44e)
追悼論文集。

Beliers. Le dialogue ininterrompu : entre deux infinis, le poeme, Galilee, 2003.
ハイデルベルク大学で行われたガダマー追悼講演

デリダ&ハーバーマス『テロルの時代と哲学の使命』岩波書店、2004


その他翻訳がある本

デリダほか著『現代フランス哲学12講』、浜名優美ほか訳、青土社、1986年。

リチャード・カーニー編『現象学のデフォルマシオン』、現代企画室、1988年。

デリタ『哲学(アルスコンビナトリア)3』鈴村和成訳、哲学書房、1988年7月。

デリダ『他者の言語―デリダの日本講演』高橋允明訳、法政大学出版局、1989年。

Ph.フォルジェ編、J.デリダほか著『テクストと解釈』轡田収ほか訳、産業図書。

デリダほか著『哲学のポスト・モダン』今村仁司訳、 ユニテ、


同じく論文など雑誌から

「Ja, ou le faux-bond」、『現代思想』1986年10月号

インタビュー「誘惑としてのエクリチュール」、『海』1981年3月号

「哲学の痕跡について」『現代思想』1982年9月号

「言語−哲学の遠い声」『現代思想』1983年10月号

「不服従者デリダ」『現代思想』1983年11月号

インタビュー「哲学とパフォーマティヴ」『海』1984年2月号

「鉤〔括弧〕の中で」『現代思想』1986年7−9月号

「自伝的な”言葉”」『現代思想』1987年7月号

「ハイデガー、哲学者たちの魔窟」『現代思想』1988年3月号

「哲学とコミュニケーション」『現代思想』1988年5月臨時増刊号「総特集=デリダ」

「戯れする貴重な自由−ディコンストラクションと教育」『現代思想』1989年7月号

「哲学言語は存在するか?」『現代思想』1989年8月号

インタビュー「私はまだ生まれていない」『ルプレザンタシオン;1991年

インタビュー「ピーター・アイゼンマンへの手紙」『批評空間』1992年7月号

インタビュー「法の力」『批評空間』1992年10月号

インタビュー「哲学にとっては」『ルプレザンタシオン』1992年

インタビュー「ディコンストリュクシオン」『批評空間』1993年8月号

「アクチュアリティの脱構築」『現代思想』1994年8−10月号

「アルジェリアにとっての/に対する様々な態度決定」『現代思想』1995年6月号

「‘価格なきもの’について、あるいは商取引における‘適正価格’」『現代思想』1995年9月号

「これから私はただひとりさまよわねばなるまい」『現代思想』1996年1月号。(ドゥルーズ追悼)

インタビュー「政治と友愛と」、『批評空間』1996年4,6月号

インタビュー「トマス・アスホイヤーとの対話」、「現象を救済すること」、インタビュー「最悪の抑圧の一つ、言語の禁止について」『現代思想』1999年3月号。


解説書

林 好雄・廣瀬 浩司『デリダ』 (講談社選書メチエ 259 知の教科書)、講談社、2003年

研究書



雑誌の特集

『現代思想』、1975年3月号、「デリダ――現代フランス思想の展開」

『現代思想』1982年2月臨時増刊号、「デリダ読本―手紙・家族・署名」第10巻第3号。

『理想』、1984年11月号、「デリダ」

『現代思想』、1988年5月臨時増刊号、「デリダ――言語行為とコミュニケーション」

『現代思想』、1989年8月号、「闘うデリダ――言語のポリティクス」

『情況』1998年10月号 「特集 デリダと政治的なもの」

『現代思想』、1999年3月号、「デリダ」、第27巻第3号。



リンク

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Articles about Jacques Derrida

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