哲学事典
知性、理性、悟性
観念、記号、言語、概念
存在、実存、実在、本質
実体、主観、客観、
理性(ratio, raison)
坂部恵はintellectusがドイツ語のVerstandになって、カントではこの「知性」の地位が理性と逆転するとしている。確かに、もともとフランス語raisonの語源であるratioは論証的能力として考えられており、現代における「知性」に近い意味であった。これが近代になって「理性」という意味になったが、もっとも、これは、中世哲学におけるintellectusという意味ではない。現代の理性とは推論・論証的能力である。
知性(intellectus, nous)
前ソクラテス期にあって、ヌースは宇宙の秩序を実現し保持する原理であり、人間のうちに宿るものではない。アリストテレスは『デ・アニマ』において、
悟性 (understanding, entendement, Verstand)
「悟性」という語は、ドイツ語「Verstand」の翻訳で、英語の「understanding」に相当する。「Verstand」もしくは「understanding」は、場合によっては「知性」と訳されることもある。おおむね、カント以降の哲学では「悟性」と訳すことが多いようであるが、それには理由がある。カント以前の哲学的伝統において、「知性」は、実在を直接把握することのできる高度な能力であった。ところが、カントは「知性」の限界を厳密に指摘し、「知性」が単独で実在を把握することはありえないと述べた。「知性」は、つねに「感性」によってもたらされた素材を概念的に規定し、認識に統一をもたらす。そのように、認識が成立するときの一契機として規定し直しされた「知性」は、それ以降「悟性」と訳されるようになった。
つまり、「Verstand」が直接実在そのものを把握すると考えられていた時代においては、それは「知性」と訳されていた。しかし「Verstand」の機能が、そもそも直接実在を把握することにあるのではなく、感性が受容した素材(直観)に概念を適用する点にあるのだと限定されたとき、「Verstand」は、「悟性」に変化したのである。
カント以前の哲学的伝統の中では、「Verstand」がどうして実在そのものを把握できると考えられていたのだろうか? それは、「Verstand」すなわち「知性」が、神の能力の分有と考えられていたからにほかならない。中世の神学においては、人間的認識の諸能力は、まず第一に、神にかかわる「知性」と、第二に、被造物(自然)の諸関係にかかわる「理性」と、第三に、身体的感覚によって形象を受容する「感性」とに分かたれていた。したがって、知性は、無限にして完全な存在である神への信仰を背景に、人間の魂の最高段階にあって、実在そのものを把握できる能力と考えられていたのである。いわゆる直観知は、しばしば宗教的な神秘主義を連想させ、反知性的であるかのようにとらえられがちだが、しかし中世においては、神秘的な直観知は反知性的であるどころか、むしろそれこそが知性の営みだったのである。あえてカント的に言えば、物自体を誤りなく把握する能力、それこそが知性だったわけである。
こうしてみると、カント的な転換がいかに大きなものであったかが理解されるだろう。カントがもたらしたのは、「知性−理性−感性」の階層秩序を転換し、「理性−悟性−感性」へと改め、その変革を通じて、人間の認識能力の限界を定めたのだった。
坂部恵『ヨーロッパ精神史入門』岩波書店→実在、 Reality、 realitas
esse (存在:on, eon, ousia, Sein, essentia, Wesen, essence, etre, being)
ギリシャ語「on」は動詞「einai」の中性動詞で、本来「ある」か「存在する」とかいわれる物事を指す。
プラトンは存在を不動のものとして考えたパルメニデスの思想を受け継ぎ、真の存在をイデアないしエイドスとした。彼は存在を真の存在者(ontos onta)と生成(genesis)をもつ存在者とにわけ、前者は思惟の対象でありロゴスを伴うもの、後者は感覚の対象で臆断を伴うものとした。
アリストテレスは存在はさまざまな意味において語られるとした。存在は、1.付帯的な存在、2.自体的な存在、3.真的ないし偽的存在、4.可能的ないし現実的存在に分けられる。アリストテレスは存在の問いを実体についての問いと見なし、実体を永遠で感覚できないいわば神的なものと、感覚でき生成消滅する自然物とに分けた。また彼は実体を第一実体と第二実体とにわけ、第一実体としての個物存在が存在の中心とされる。existentia (実存:Existenz, existence)
1.普通にわれわれの認識や意識から独立に事物が存在しているという事実そのもののこと。2.事物の本質ないし本性と区別して、その事物の存在することそれ自体を示す。3.抽象や理論に対して生のままの主体的にいきられている現実のこと。
existentiaはexistereという動詞からきており、これは「なんらかのものから」「存立する」意味で存在することよりも生起することを意味した。これはスコラ哲学において、事物の本性を示す本質と区別して、事物が現実に存在しているという活動を示すのにも用いられるようになった。トマス・アクィナスが本質と実存の区別を明確にした。後期スコラ哲学によれば、本質は存在の潜在態であり、究極の現勢態である実存によって現実存在となる。
ハイデガーは「現存在の本質はその実存にある」とした。「Eksistenzは実質的には存在の真理性の中に立ち現れることを意味するが、existentiaはこれに対し、現勢態、すなわち、理念の単なる可能性とは区別された現実性を意味する」essentia (本質:ousia, to ti estin, Wesen, essence)
1.形而上学における本質。偶有性あるいは付帯性においてあるものと区別される実体のこと。つまり、それが何であるか、ということと、それ自体においてあること、のどちらも意味する。
2.神学的な本質。事物においてその本性(natura)を構成するものであり、人間にとっては事物の可知的な要素である。トマスは、神がただ存在だけからなる存在者そのものであるとし、ほかの存在者においては、それが何であるかその本質を問うことができると考えた。すべての事物において神は実在(existentia)するのである。
3.論理学的本質。思惟が思惟の対象を限定する概念と定理の総体。中世の唯名論のあと、近世以降、本質は認識論の側からとらえられる。カントにおいてもヘーゲルにおても、本質と実在の関係は、理性的存在と経験的与件との関係において考えられている。
4.現象学における本質。現象そのものにおいてあらわれており、本質直観においてとらえれられる事象の形相。
本質について最初に考察したソクラテスが問うた「何であるか」は、人が自分の人生をこれにのせてと自分が納得できるような定義であった。
プラトンにおいて事物の本質はその事物の形相ないしイデアである。個々の事例はこれを分有し写す。
アリストテレスは個体にこそ揺るがない本質があると考えた。個体の「何であるか」とは種であり、その答えと問いが共に現実化されているエネルゲイアが、この人、このものなのである。
トマス・アクィナスは本質とは存在者の「なんたるか」を構成するものであるとした。本質とは何性(quidditas)や本性(natura)とも言われるが、それが実在するためには存在を持たなければならない。「本質とはそれによって、またそれにおいて存在者が存在を所有するそのものである」。本質は、神においては存在であり(プラトン)、事物においては個物のうちにその個的存在に従って存在(アリストテレス)し、知性によって個物から抽象されると普遍概念として知性的存在に従って存在する(概念論者)。
近代哲学において本質とは、ある物が当のその物である、その物の内的根拠であるとされた。カントにおいても同様であり、本質とは物の根拠、原理である。ここでは本質が存在に先立っている。しかしヘーゲルは、本質とは現に存在している物のあり方に基づいて、われわれがそれを定立することによってそれ自体としてはじめて生成するものであるとし、本質を物に内在しているものとするこうした考えを覆した。realitas (実在、現実性:Reality)
語源はres(事物)から。
カントにおいては事物の事象内容、つまり本質を意味する。→悟性、 existentia
causalitat
因果性にはさまざまな考え方があるが、ここでは通常の因果性を否定するあるロゴスを紹介する。因果性とは一般に、ものごとを説明する根拠のことである。たとえばAさんがBくんを振ったのは、彼のある癖が気に入らなかったからである。この場合、Bくんの「癖」が彼が振られたことの理由である。しかし、実際にあったことと言えば、単にAさんがBさんを振った、そのことだけである。上の理由は後でその行動を事後的に基礎づけているにすぎない。つまり、原因があって結果があったのではなく、たんに結果qがあり、そのことを説明するために原因pがただ要請されているだけなののだ。
objectum (客観:Objektum)
objectumの原義は「〜に向かって投げられてあること」であり、中世においては、外的事物が心に対して投げ与えられて表象されている状態、つまり今日の意味での「主観的なもの」を意味した。これが今日の意味になるのはカントによってである。
subjectum (主観:Subjekt, sujet, subject)
subjectumの語源は「下に置かれたもの」を意味するhypokeimenonから来ており、近代以前には、さまざまな性質の根底にあってそれらを支える「基体」という存在論的な意味を持っていた。このsubjectumは、今日の意味とは正反対に、精神や意識から独立に存在する実体、意識の外にそれ自体で存在するものを指しており、今日の「客観的なもの」にむしろ近い。
デカルトは、この世界のすべての存在を疑い尽くした後、そうした疑いを遂行している「我」が存在することだけは疑えないと述べた。有名な「我思う、ゆえに我あり」という命題は、思惟作用の主体としての自我を、世界における確実さの基準に据えるものだった。自我はその理性的な認識によっていわば世界を支えており、その意味で精神や意識があらゆる存在者の根底にある「基体」だということになる。こうして認識を行うかぎりでの自我や意識が、subjectの意味を独占する。しかしデカルトはまだ、subjectumの原義に使い意味でこの言葉を用いており、realitas objectivaを「観念として表象されているかぎりでの事象内容」という意味で用いている。さらにホッブズやライプニッツは、魂をsubjectumと呼んでいるが、これは感覚を担う基体という程度の意味である。
カントはそのコペルニクス的転換によって、デカルトの準備した認識論的体制を完成し、Subjektを主観として術語的に定着させた。カントによれば、主観が感覚与件を己のアプリオリな形式によって整理し、秩序づけることによって初めて、「客観」が成り立つ。
このように、「Subjekt」の語義の変換は、世界の基体が神から人間に移行することをも意味した。そこで、「Subjekt」が、認識論的な場面においてではなく、実践的に歴史や他者に働きかける能動者という意味で用いられる場合は、「主体」という訳語があてられることもある。
substantia (実体:substantia, ousia, hypokeimenon, hypostasis)
知覚されうるさまざまな性質、状態、作用の根底によこたわり、これを制約していると考えられるもの。あるものが何であるかという問いの答えとなるそのものの本来のあり方を意味する。
プラトンは、個々のものが実際にそれであるところのものをウーシアと読んだ。ウーシアはこもののあり方(ピュシス)という意味での本性や本質のことであり、これは「なる」に対する「ある」ということであった。
アリストテレスは、ウーシアという語によって質料と形相からなる個物を意味することもあり、またその個物に関して概念的に把握されるものを意味することもある。区分けすると、彼は実体を、1.感覚的で永遠なもの(天体など)、2.感覚的で可滅なもの(植物や動物)、3.普遍不動なものの三つの型に分けた。前二者の複合体をつくる要素のうち、最も実体と呼ぶに値するものに、基体と類と普遍と本質(ti esti)の四つを挙げ、本質こそ最も実体と呼ばれるにふさわしいとした。さらに実体を二つに分け、個人や個物を第一実体とし、これは本質述定と内属性の要請するヒュポケイメノンが何もないもの、つまりヒュポケイメノンそのものである。また、類や種を説明するものを第二実体とした。個物としての実体は、質料と形相の結合体である。
ラテンにおいてはエッセンティアもスブスタンチアも同じ意味で用いられてきたが、トマス・アクィナスは両者を分離した。存在するあるいは存在するものを実体とし、実体がある存在者と呼ばれるべき時はエクシステンティア(実存)を用いた。実体には二つの組成があり、1.質料と形相からなる場合、2.すでに合成された実体そのものに実存が結合される場合とがある。神のみにおいて本質と実存が一つであるが、それ以外の存在者の実体においては、本質を存在させるためにはそれと区別された実存が必要となっている。
近世にはいると、デカルトが実体をそれが実存するために何らかの実在者(res)を必要としない仕方で実存している実在者のこととした。そして、最高の実体を神とし、精神と物体は神によって生産された二つの有限実体であり、相互に交流はないとした。これに対しスピノザは神のみが唯一、「それ自体によって理解され 、その概念を形成するのに他のものの概念を必要としない」実体であるとした。ライプニッツは思惟する実体として精神を、多を表現する一なるモナドととしてとらえた。この精神としての実体は神と対話しうる主体である。
実体としての精神という考えはやがて衰退し、代わりに機能、活動としての精神が全面にでてくる。ここで重要なのは主体と客観との「関係」という概念である。→existentia、 essentia、 esse、 substratum、 subjectum
substratum (基体:hypokeimenon, subjectum)
主観は、ドイツ語「Subjekt」の訳語だが、「Subjekt」のラテン語「subjectum」は、もともと「底にあるもの」「根底に置かれたもの」という意味をもつ。そこで、「Subjekt」もしくは「subjectum」の訳語として、「基体」ということばを用いることもある。すなわち、「subjectum」は、万象の根底に横たわる最も基本的な実在を意味し、世界存在を世界存在たらしめる基本的で中心的な存在を意味していた。
現代では、認識する能動者を「主観」と呼び、認識される受動的な対象を「客観」と呼ぶ。しかしその背景には、元来「Subjekt」が、世界存在の根底にあり、世界を世界たらしめるものという発想が横たわっている。世界を世界たらしめる「基体」は、また、歴史を形成する能動者をも意味する。そうした世界や歴史を支える「基体」は、古代ギリシャにおいては「自然」であったし、中世ヨーロッパにおいては「神」であった。世界を支え、歴史を形成する「基体」として人間が想定されるようになったのは、たかだか17世紀以降のことである。それ以来、「subjectum」という語は、おおむね人間的主観を意味するようになる。
エネルギー (えねるぎー:energie)
語源
(1)古代ギリシャよりもさらに古い時代に、仕事、はたらきを表すことばとして uergon (ウエルゴン)という語のあったことが想定されている。それがギリシア語としては ergon になり、古代ゲルマン語としては werc , werah となったと考えられている。この werc がドイツ語の werk , 英語の work になったのである。物理用語の仕事の CGS 単位 erg (エルグ)は、ギリシャ語の ergon に基づいている。
(2)一方、ギリシャ語でergon に前置詞 en をつけて en+ergon (at work)より、はたらいている状態、勢力、活力を意味する energeia という語ができた。これがラテン語で energia になり、英語で energy 、フランス語で energie になった。これが今日物理用語としてのエネルギーとして使われるようになったのは、1807年にヤングが仕事をする能力として用いたのが最初である。しかし、それからしばらくの間は同じ意味に力などの語が使われたりしていた。エネルギーが現在の意味に定着したのは、1851年のトムソンや1853年のランキンの論文からである。
エネルギーという言葉は一般には活気や精力等の類語として定性的な表現にも用いられるが、物理学的には定量的に評価できる厳密な定義がある。物理学上の定義によれば、エネルギーとは力学的な仕事に換算し得る諸量の総称である。つまり力学的仕事をなし得る能力の意味であり、元来は位置や速度を持つ物体の能力として定義されたが、その後、熱、光、電磁気、さらには質量そのものもエネルギーの一形態であることが明らかになった。エネルギーは自然を支配する法則の理解にとって最も基本的な概念の一つである。
日常生活においてエネルギーを身近に感じることができるのは熱という形態である。エネルギーの単位としてよく使われているカロリー(cal)は、歴史的には、1気圧の下で純水1グラムの温度を摂氏14.5度から15.5度まで1度C だけ上げるのに要する熱量として定義されていた。これに対して、物理学上の定義の基本となる力学的仕事は、 力(ニュートン、N )と力の方向に動いた距離(メートル、m)の積として定義され、ジュール(J)という単位が使われる。この二つの単位の間には、1 カロリーが約4.186ジュールという一定の関係があり、今では、カロリーはジュールからの換算係数によって定義されている。このように異なるエネルギー形態の間には一定の変換係数があり、エネルギーの形態は変化してもエネルギーの総量は一定に保たれる。これをエネルギー保存の法則、あるいは熱力学の第一法則と呼ぶ。
皮肉なことに、科学としてのエネルギーに関する最も基本的な法則であるエネルギー保存の法則は、我々の実感からかけ離れている。私たちがエネルギー問題という時のエネルギーは、使えば減る貴重なエネルギーである。第一法則によって保存されるエネルギーは使っても減ることはなくエネルギー問題で危惧されるエネルギーの不足など永久に起こるはずが無いことになってしまう。つまり、人間社会で問題になっているエネルギーはエネルギー保存の法則によって支配されているエネルギーとは異なるものである。
自然科学におけるエネルギーの価値に関する研究は熱力学として発展してきた。エントロピーや自由エネルギーなどエネルギーの質に関する重要な概念が定義され、最近では非平衡な現象に関する熱力学も発展し始めた。この展開は、自己組織化の理論とか、複雑系の科学とか、生命論パラダイムなどと呼ばれる今まさに最先端の学問分野に連なる。また、工学分野でエネルギーの価値の表現を試みた一つの成果にエクセルギーがある。一言でいえば、エクセルギーとは力学的仕事に変えることのできる有効エネルギーのことである。熱工学分野で発展した概念のため、他の分野ではまだ十分に活用されていないが、省エネルギーや自然エネルギー利用の評価にあたっては、極めて重要な役割を果たす。
エントロピー (えんとろぴー)
エントロピーという概念は1865年、ドイツの物理学者クラウジウス(1822-1888) が命名した。熱がエネルギーであること(熱力学の第一法則)、熱は高温の物体から低温の物体に移動しその逆はあり得ないこと(熱力学の第二法則)を示し、後者において増大する量(厳密に言えば、減少することのない量)をエントロピーと命名した。クラウジウスによる熱力学的なエントロピーが直観的なのに対し、ボルツマン(1844-1906) の研究した統計力学的エントロピーでは、確率論を援用することによって、数学的にH定理(速度vの分子の分布関数とそれの自然対数との積をあらゆる速度について積分した量をHと名付けると、分子が衝突するにつれHは一般に減少し、熱平衡状態に達して減少が止まるがそのときに分布関数はマクスウェルの速度分布則となる)を証明した。系の微視的な状態が、全て等しい先験的確率を持つことを前提とし、その背後には「エルゴード仮説」を置いている。「エルゴード性」とは、ボルツマン自身がギリシァ語の「エルゴン」(仕事)と「オドス」(道)を合成して作った言葉で、ある体系の力学的な運動を記述する位相空間中の一点が、等エネルギー面上をくまなく運動するという性質を持つことで、実は証明されてはいないが、統計力学の礎石をなしている。(その後米の数学者バーコフが測度論を用いてさらに明確に定式化した)。
社会科学的なメタファーにおいて、情報をエントロピーから捉える論者に、『情報エントロピー』を書いたO.E.クラップがいる。
相対性理論 (そうたいせいりろん:Theory of Relativity)
物理学における相対性理論は、自然そのものの固有の連関を、それ「自体」において存立するとおりの有様で取りだそうとする傾向から生じている。それは、自然そのものへの接近の諸条件についての理論として、あらゆる相対性の確定によって、運動法則の普遍性を維持しようと努めており、こうして物理学にはじめから与えられている事象領域の構造を尋ねる問い、すなわち物質の問題に直面することになる。
Allegory (アレゴリー)
寓意、寓意像の意。語源はギリシア語の「allegoria」で、「別のものを語る」という意味である。抽象的な概念や思想を、具体的形象によって暗示する表現方法であり、その主要手段は擬人化、擬動物化である。「正義」の観念を剣と天秤をもった女性像で表わしたり、「狡猾」を狐で表現するなどがその例である。また白色が清純を、聖母マリアのマントの青色が「天の女王」の意味を表わすといった、絵画的表現もそれと言える。アレゴリーの他の特色として認められるのは善悪の対比による宗教や道徳上の教訓、風刺の要素をもつことで、これは特に文学的表現において用いられる。例えばイソップやラ・フォンテーヌの寓話(fable)にみられる。歴史的にはギリシア人が神話中の人物を哲学的真理の現われとして解釈し始めたときに起こり、さらにキリスト教神学と中世の実在論哲学において発展した。16−17世紀にはチェザーレ・リーパの『イコノロジア』などの、図像学において最もよく扱われた。またアレゴリーはシンボルとの区別において考えられてきた。この違いを明確に確立したのはシェリングである。彼は抽象概念である「普遍」と擬人表現として表わされる「特殊」が一体化しているとき、それをシンボルとし、ある表現において特殊が普遍を意味する、あるいは特殊が普遍を通して直観される場合をアレゴリーであるとした。現代においても芸術表現の一手段としてアレゴリーは使われ続けたが、作品制作の主導的な立場として復活したのは、ポストモダニズムの台頭によってである。具体的な芸術家としては、F・クレメンテ、A・キーファー、H・シュッテンドルフらであり、例えばキーファーは聖書、神話、歴史的場面、ゲーテの『ファウスト』などのさまざまな文化的表象を、現代人の生活のアレゴリーとして作品に取り込んだ。
力 (ちから:force)
力の概念は思想史的に入り組んだ背景を持っているが、まずは大きく二つの系譜に分けるべきだろう。まずは力を他からの働きとする見方で、これはアリストテレスに始まり、その概念規定はイスラムや中世ヨーロッパにおいて支配的であり、近代科学も基本的にはこの立場である。もう一つの系譜は、力を物質に内在し、物質を内的に変化させるものと考える立場で、力を潜在的なもの、隠れたものとみなす。これはプラトンに始まり、中世には新プラトン主義の魔術的世界観に受け継がれ、ケプラーやニュートンなど多くの近代科学者に影響を与え、エネルギーの概念的母胎となった。
ガリレイは、かなづちを釘の頭に当てて押しても、釘はささっていかないが、かなづちを振り下ろすとささることから、運動しているものは仕事をする能力があると考えていた。
ニュートンは万有引力を発見した。
この概念がもっとも盛んに論争されたのは18世紀においてであり、それは「活力論争」と呼ばれた。デカルト派は力を運動量の測度と見なして、力は運動体の質料と速度の積(mv)によって計られると主張し、運動量と力積の関係式 mv'-mv=FΔt を基本法則とした。
一方のライプニッツ派は力を活力あるいは仕事の量の測度と見なして、速さ v で投げ上げられた物体は高さ h=v(自乗)/2g まで上がることから、力は質量(m)と測度(v)の自乗の積として表される活力だと主張した。
この論争は形而上学の問題に直結するものであり、「実体」の属性を延長と見なすデカルト派と、それを力と見なすライプニッツ派の争いだったのである。しかし、この論争は1743年にダランベールによって決着がつけられ、両者とも運動体の作用能力を測定するまったく異なる仕方として、いずれも正しいことが証明された。つまり運動の効果はその移動距離からみる見方(以降こちらが力と呼ばれ、単位はニュートン)と、持続時間からみる見方(これはエネルギーと呼ばれ、単位はジュール)があるのである。( 速さ v で運動している質量 m の物体に一定の力 F が加わって、t 〔s〕後に距離 xだけ進んで止まったとする。このとき、mv=Ft から、運動の持続時間 t はmv/Fでmvに比例する。一方、進んだ距離 x は等加速度運動よりx=mv(自乗)/2F となりmv(自乗)に比例する。)
18世紀に産業革命が起こり蒸気機関が発達すると,それが仕事をする能力を正確にはかる必要が生まれた。それまでは馬を使っていたので,馬のする仕事を基準にした。ワットは、滑車を用いて馬に物を引き上げさせ、1分間に15000kgの物を30cm引き上げる仕事の割合(power=仕事率、単位はワット)を1馬力とした。こうして、物理学における仕事(work)の概念が形成され、仕事Wが力F×距離xで表されると、Fx = mv(自乗)より、mv(自乗)は仕事に転化しうるものと考えられるようになった。1807年にヤングが活力にかわってエネルギーということばを用いると、mv(自乗)は運動エネルギーとよばれるようになった。
力への意志 (ちからへのいし)
1.「力への意志」はニヒリズムを克服し(かつ完成し)現実をありのまま肯定するもの。
2.すべての意識に先行する原初的な生そのものであること。実体としては解されない。
3.よって再帰的に、自己意識との関連において、意志として価値を再び定立する。
4.その結果、「力への意志」は無限に無に向けて冒険せざるをえないこと。
ニヒリズムの二面性に対応した「力への意志」はその創造的な面と破壊的な面をとおして
人間を肯定していく他はなく、それしかニヒリズムの克服はありえない
熱 (ねつ)
蒸気機関は熱を仕事にかえるが、それでは熱とは何であろうか。この疑問は古くからあり、二種類の考え方があった。 一方では、熱い物体と冷たい物体を接触させると、熱いほうから冷たいほうへ熱が移動するようにみえることから、熱は物質の一種であると考えられた。しかし他方では、摩擦によって熱が発生することから運動の転化したものという考えもあった。18世紀の末、大砲の砲身をくり抜く作業で際限なく熱が発生するのを見て驚いたランフォードは、装置を水につけて発生する熱をはかった。すると、作業をつづけるつれ水の温度はどんどん上昇し、ついに沸騰するに至った。熱が物質だとしたら、こんな多量の物質がいったいどこからでてくるのか。こうして、ランフォードは熱は運動の転化したものであることを確信した。
1840年ジュールは、電流による熱の発生からジュールの法則を発見し、電池の科学反応が熱に転化すると考えてエネルギー保存則に気付いた。そこで、運動を直接的に熱にかえることを試みてジュールの実験を行ない、熱の仕事当量を求め、熱がエネルギーの一種であることを確かめた。
1842年マイヤーは、東インド会社の船医としてジャワに航海したとき、栄養物の酸化が身体の熱と活動力になることから、化学反応、熱、力学的仕事がたがいに転化しあってその形態は変化するが、しかしその総量は不変であるという考えに到達した(熱力学第一法則)。
1847年ヘルムホルツは、エネルギーにはいろいろな形態があり、それらはたがいに移り変わるが、全体としてエネルギーの和は一定であるというエネルギー保存則を提唱した。
微分 (びぶん)
力学を正確に記述するためにニュートンとライプニッツが生み出したもの。
不可識別者同一の原理 (ふかしきべつしゃどういつのげんり:principe de l'identite' des indiscernables)
ライプニッツによる〈個体の同一性に関する原理〉。いくつかの表現がある。「自然の内には数においてのみ異なる2つの個体は存在しない」〔第一真理〕,「識別できない2つの個体はない」〔クラーク宛第4書簡〕(そのほか,『形而上学叙説』9章,『人間知性新論』2巻27章3節,『モナドロジー』9節など)。ライプニッツにとって個体とは,過去から未来に至るまでそれについて生じることのすべてがその個体の概念に含まれているものである。したがって,一見外的であるような規定,例えば空間的な位置関係も,その個体がいかなるものかを決定する際に不可欠となる.それは,「規定を受ける事物そのものの内に基礎を全く持たない純粋に外的な規定は存在しない」[第一真理]からである。そこで,かりに2つの個体があるとして,それに帰属される述語がそれぞれ全く等しく互いに識別できないとしたら,それは「同一の事物を2つの名の下に立てる」[クラーク宛第4書簡]ことで,結局は同一であることになる。
この原理は,ライプニッツにとって最も重要な原理の一つの充足理由律を補完する。なぜなら,複数の個体に無差別なあり方を認めると,それぞれをしかるべく決定するための理由が見出せなくなるからである。したがってこれは原子論を批判する根拠の1つになる。さらにニュートンの絶対空間・絶対時間説に対しても,それが無差別の実在者の存在を認めるものだとして反対する論拠になっている。この原理の背景には,宇宙では無数の実体が互いに関連しあいながらそれぞれ独自性を持って存在しているのだというライプニッツの世界観がある。なお「ライプニッツの法則」ともいわれる「同一者不可識別の原理」は,ライプニッツ自身のものではない。
[文献]石黒ひで『ライプニッツの哲学』岩波書店,1984
〔佐々木能章〕岩波「哲学・思想事典」
「数においてのみ異なる二つの個体的実体はこの世に存在しない。というのも、それらがなぜ異なっているのか理由を与えることができなければならないし、その理由は、両者の間のある差異に求められる。トマス・アクィナスは天使たちが数においてのみ異なることはないという事実を認識したが、その事実は他の事物にも適用されるべきだ。完全に類似した二つの卵、完全に類似している二つの木の葉や草の葉は見つからないだろう。したがって、完全な類似性というのは、不完全な抽象的な概念においてのみ成立することであり、そういった概念においては、事物はすべての観点において考察されているのではなく、ある特定の視点だけから考察されているのである。ちょうど事物の形態のみを考えている場合、その形態の材質を考えない場合と同じことだ。したがって、幾何学においては、二つの三角形が類似していると考えるのは正しいけれど、材質まで考えると完全に類似した二つの三角形は存在しないのである。」(「第一真理」)
「然しながら単子は何か或る性質を持っているに違いない。性質がなければ存在とさえ云えなくなる。それにもし単純な実体がそれらの性質によって互いに異なっているのでなければ、物の中に起こる変化を我々は一つとして意識することができないであろう。なぜなら、合成体の中に起こることは、単純な要素からしか来ないからである。且つ単子が性質をもたないとすると、元来単子は分量においても差異がないのであるから、互いに区別がつかなくなる。したがつて、充実した空間を仮定すると、運動においてどの場所もそれぞれ今まで持っていたのと等しいものしか受け取らないことになるから、物の或る状態は他の状態から識別することが出来なくなる。
のみならず、どのモナドも他のすべてのモナドと互いに相違しているはずである。なぜなら、自然の中において、二つの存在が互いに全く同じようであってそこに内的差異すなわち内的規定に基づく差異を認めることが出来ないということは決してありえないから。」(「モナドロジー 8−9)
「フィラレート:スコラ哲学で個体化の原理と名づけられたもの、それが何なのか知ろうとしてとても人々は苦しんだのですが、それは現実存在そのものなのです。現実存在は各存在者を特定の時間と、同じ種類の二つの存在者が分ちあえない一つの場所とに固定します。
テオフィル:個体化の原理は、個体においてはたった今述べたばかりの区別の原理に帰着します。もし二つの個体が完全に同じょうなもので、等しくそして(一言で言えば)それら白身では区別できないとしたら、個体化の原理などというものは無いでしょう。そういう条件の下では、個体的な区別とか異なった個体とかは無いだろうとさえあえて私は言います。ですから原子の概念は空想的なものであり、人間の不完全な概念作用にしか由来しません。というのも、もしも原子が、即ち完全に硬くそして完全に不変ないし内的変化をし得ない物体があったら、それは大きさと形でしか相互に異なり得ませんし、それらの形と大きさが同じであることもあり得、その際にはそれ自身では区別され得ず、内的基礎無しに外的規定によってしか識別され得ないのは明らかです。それは理由についてのもっとも偉大な諸原理に反します。けれども本当は、いかなる物体も変化し得ますし、常に現実に変化しており、従ってそれ自身で他のいかなるものとも異なるのです。卓抜した精神の持主である一人の偉大な王妃が或る日彼女の庭を散歩している際に、完全に同じ二枚の実は無いように思うとおっしゃったのを私は憶えています。散歩に付き従っていた才気のある紳士はそんなものを見つけるのは容易いと考えました。しかし、それを探しまわったにも拘らず、そこには常に差異が見出されるのを、彼は自分の目で納得させられたのです。いままでおろそかにされてきたこうした考察によって、哲学において最も自然な諸概念からいかに私たちが遠ざかっていたか、真の形而上学の偉大な諸原理からいかに遠ざかっていたかが分りましょう。」(「人間知性新論」 第2部27章)→個体化
ライプニッツの記号学
ライプニッツの記号学
The symbolic calculus that Leibniz devised seems to have been more of a calculus of reason than a "characteristic" language. It was motivated by his view that most concepts were "composite": they were collections or conjunctions of other more basic concepts. Symbols (letters, lines, or circles) were then used to stand for concepts and their relationships. This resulted in what is called an "intensional" rather than an "extensional" logic--one whose terms stand for properties or concepts rather than for the things having these properties. Leibniz' basic notion of the truth of a judgment was that the concepts making up the predicate were "included in" the concept of the subject. What Leibniz symbolized as "A ," or what we might write as "A = B" was that all the concepts making up concept A also are contained in concept B, and vice versa.
Leibniz used two further notions to expand the basic logical calculus. In his notation, "A B C" indicates that the concepts in A and those in B wholly constitute those in C. We might write this as "A + B = C" or "A B = C"--if we keep in mind that A, B, and C stand for concepts or properties, not for individual things. Leibniz also used the juxtaposition of terms in the following way: "AB C," which we might write as "A ×B = C" or "A B = C," signifies in his system that all the concepts in both A and B wholly constitute the concept C.
A universal affirmative judgment, such as "All A's are B's," becomes in Leibniz' notation "A AB." This equation states that the concepts included in the concepts of both A and B are the same as those in A. A syllogism, "All A's are B's; all B's are C's; therefore all A's are C's," becomes the sequence of equations "A = AB; B =BC; therefore A =AC." This conclusion can be derived from the premises by two simple algebraic substitutions and the associativity of logical multiplication. Leibniz' interpretation of particular and negative statements was more problematic. Although he later seemed to prefer an algebraic, equational symbolic logic, he experimented with many alternative techniques, including graphs.
As with many early symbolic logics, including many developed in the 19th century, Leibniz' system had difficulties with particular and negative statements, and it included little discussion of propositional logic and no formal treatment of quantified relational statements. (Leibniz later became keenly aware of the importance of relations and relational inferences.) Although Leibniz might seem to deserve to be credited with great originality in his symbolic logic--especially in his equational, algebraic logic--it turns out that such insights were relatively common to mathematicians of the 17th and 18th centuries who had a knowledge of traditional syllogistic logic. In 1685 Jakob Bernoulli published a pamphlet on the parallels of logic and algebra and gave some algebraic renderings of categorical statements. Later the symbolic work of Lambert, Ploucquet, Euler, and even Boole--all apparently uninfluenced by Leibniz' or even Bernoulli's work--seems to show the extent to which these ideas were apparent to the best mathematical minds of the day.
Copyright 1994-1999 Encyclopaedia Britannica
量子力学 (りょうしりきがく)
量子的系の状態をあらわす波動関数は、一般に相異なる固有値に属する固有関数の重ね合わせになっており、観測によって得られる物理量としてどの固有値(固有関数)が選び出されるかは確率的にしか前もって知ることはできない。しかし実験結果として得られる物理量は「決まった量」でなくてはならない。したがって観測の結果、物理量が取り得る値のいずれかが決定したとすれば、その瞬間に波動関数は(いわば一つの「状態」を示す固有関数へと)「収縮」する。これを「波束の収縮」という。よって量子的系の状態は、観測がなされない時にはシュレディンガー方程式に従って時間とともに連続的に変化し、観測がなされた瞬間に、飛躍的・非連続的に変化するということになる(「状態変化の二元論」)。
このことをやや図式的に示したものが、有名な「シュレディンガーの猫」である。箱の中に閉じ込められた猫の生死は、センサーにつながる殺猫装置(青酸ガスなどを注入する)に決定される。そのセンサーの前には、微量の放射性物質があり、それからアルファ線が飛び出せば、センサーがそれを感知し、猫は殺されるのである。放射性物質からアルファ線が飛び出す(これは量子的系の状態である)、その確率は1時間で1/2、と確率的にしか知ることができない。実験を始めて1時間後、猫が生きている確率は1/2である。が、箱を開けて見れば、猫は生きているか死んでいるかのいずれかである。観測(箱を開けて見る)した瞬間に、波動関数は(いわば一つの「状態」を示す固有関数へと)「収縮」する。
この「意識が物理的世界に作用を及ぼす」かにみえる「波束の収縮」は、確率的な量子系に対しても、二値論理的な(白黒はっきりした)、つまり古典物理的な「観測結果」を与えなければならない、逆に言えば古典物理的な概念で記述される「実験」の向こうにしか、量子系(あるいは量子力学的対象)は存しないという事態に依っている。
「量子力学の基本的な命題の定式化は、古典力学の概念を用いなくては原理的に不可能」なのだ。量子系と観測系について、それぞれ別の言葉(記述)を与えなければならない困難が、この「観測のパラドックス」の根源である。つまり「波束の収縮」は、ボーアにとって(そして正統な量子力学解釈において)、物理的過程ではなく、ただ「言語(記述)の切り替え」である(「記述における二元論」)。
しかし古典的記述と量子的記述を使い分ける「コペンハーゲン式二重思考」には、当然批判が生じる。観測装置も、あるいは観測者も等しく「原子」でできているのであり(だから当然量子力学の法則に従うはずであり)、またミクロ−マクロといった区別もまったく恣意的にすぎず、対象自体にその区別が存する訳ではない。
量子力学のひとつの帰結は、主観−客観の完全分離が可能にするところの古典物理学的「観測」の問い直しであった。対象系と同じく、観測者も量子力学の法則に従うはずであるという要請は、つまるところ「観測する主観」をこれまでのようには(古典物理学においてそうだったようには)、「物理的世界」の外には置かないということをである。フォン・ノイマンはこれを「物心平行論の原理」と呼ぶ。つまりこれは、「実際には物理外の過程である主観的な知覚過程を、あたかも物理的世界において生じたかのように記述すること、すなわち主観的な知覚過程を客観的な環境の中の通常の空間に置ける物理的な過程に対応させること、が可能でなければならない」という要請である。この要請にのっとるなら、観測系と対象系の境界は自由に移動可能となる。極端な話、その境界を観測系の方にいっぱいに近付ければ、「観測装置」も「観測者の脳髄」も対象系に含まれる事になる、つまり量子力学の対象になる(「実在における一元論」)。
ノイマンらの「実在における一元論」は、ボーアらコペンハーゲン解釈が《陥る》「記述における二元論」を、ある種の形而上学を、免れているかに見える。事実、ノイマンは、それによって(安心して)科学として量子力学に取組み、その数学定式化の仕事をやりとげる(『量子力学の数学的基礎』)。ところが、「記述における二元論」を「実在における一元論」でもって《塗りつぶす》ことは、別の形而上学を導入することに他ならない。あらゆる観測者をも「対象」とする「抽象的自我」を要請するか(ノイマン)、あるいは固有関数の表す状態確率そのものを「それぞれ実在する宇宙の現れ」と見なし「多元宇宙」の実在を主張するか(ヒュー・エヴェレット)。