Deleuze, Cinema, 1983, 1985
ドゥルーズ『シネマ』

・coupe=カット
・plan-sequence = シークウェンス・ショット
・gros-plan = クローズ・アップ
・cadrage = フレーミング
・decoupage = cutting

シネマ1

●第1章 運動についての諸テーゼ(第一のベルクソン注釈)

運動の本質とは? 

1 総体(ensemble)=閉じたシステム、運動の動かない切片……フレーム(cadre)

2 運動=相対的には総体において諸部分や諸対象の間に生じる位置……ショット(plan)

3 全体(tout)=開かれたもの、持続の絶えざる質的な変化……モンタージュ(montage)

●第2章 フレームとショット、フレーミングとカッティング

1 フレーム(コマ)は相対的に閉じたものとなるにつれて、絶対的な意味で、全体……持続との関係においてより開かれたものとなる。グリフィス『イントレランス』、ラング『ニーベルンゲン』『メトロポリス』、ドライヤージャンヌ・ダルク』、ジャン・ルノワール『女優ナナ』、ヒッチコック『断崖』『白い恐怖』『裏窓』『鳥』、ルビッチ『私の殺した男』

2 ショットはフレームの連続であると同時に運動イマージュである。つまり、全体の変化を表現するものである。 リード『第三の男』、ムルナウ『最後の人』『ファウスト』、ヒッチコック『フレンジー』

3 機動性。ドライヤー『奇跡』『ゲアトルーズ』、ヒッチコック『ロープ』、

●第3章 モンタージュ

1 モンタージュはショットを組み合わせることによって全体の質的変化を表現する。
  アメリカ派=有機的な表象のシステム(交替モンタージュ、クローズアップモンタージュ、平行モンタージュの三つ) 。グリフィス「大虐殺」『国民の創世』『散り行く花』『嵐の孤児』『イーノック・アーデン』『東への道』

2 ロシア派=弁証法的モンタージュ(アメリカ派とは異なり、様々なショットの対立を乗り越え、質的飛躍を目指す)。エイゼンシュタイン『イワン雷帝』『前線』『ポチョムキン』『十月』、プドフキン『母』『セントペテルブルクの最後』『アジアの嵐』、ドヴジェンコ『大地』『武器庫(アルセナール)』『航空都市』『ズヴェニゴーラ』、ジガ・ヴェルトフ『カメラを持った男』

3 フランス派=運動と運動との韻律的関係を基準として、光=運動の一元論のもとで機械的な構成によって数学的崇高さが達成される 。ジャン・ルノワール『ランジュ氏の犯罪』『獣人』『小間使いの日記』、ルネ・クレール『眠れるパリ』『イタリア麦の帽子』『百萬』、デュポン『ヴァリエテ』、トゥリーヌ『トゥルクルシブ』、ジャン・エプスタイン『アッシャー家の末裔』『まごころ』、アベル・ガンス『鉄路の白薔薇』『ナポレオン』、ジャン・グレミヨン『メカニックなフォトジェニー』『マルドーヌ』『灯台守』『不思議なヴィクトル氏』、マルセル・レルビエ『エル・ドラド』『人でなしの女』『金』、ジャン・ヴィゴ『アタラント号』

  ドイツ派=運動の強度を基準として、光と闇との対立のもとで力学的崇高が達成される。ラング、ムルナウ『ノスフェラトゥ』『サンライズ』、バプスト『パンドラの箱』、ヴィーネ『カリガリ博士』

●第4章 運動イマージュとその三つの変種(第二のベルクソン注釈)

1 運動=物質。……イマージュと全体の質的変化である運動は区別されない。運動イマージュ。

2 ベルクソンの言う「主観的な知覚」から客観的な知覚への移行を映画的知覚は可能にする。なぜなら、映画の知覚はカメラ移動やモンタージュによって中心が不在であり、フレームによって世界から切り離されるからだ。こうして作用は、作用(物体)と反作用(質)と両者の間(行動)の三つの局面に区別され、それぞれが知覚イメージ(ロング・ショット)、行動イマージュ、情動イマージュ(クローズアップ)に対応する。

3 ベケット『フィルム』、ラング『ドクトル・マブゼ』、アンソニー・マン『ウィンチェスター銃'73』

●第5章 知覚イマージュ(image-perception) 

1 映画は自由間接話法に相当する「強迫的フレーミング」によって主客の対立を乗り越え、超越論的となる(唯物論的解決)。 ムルナウ『タルチュフ』、ロメール『六つの教訓シリーズ』『O公爵夫人』『聖杯伝説』

2 カメラの位置のめまぐるしい変化によって固体の知覚から流体的な知覚へとさかのぼることによって解決する(実在論的解決)。 ジャン・ミトリ『パシフィック231』『ドビュッシーのための映像』、エプスタイン『ベル・ニヴェルネ−ズ号』『大地の果て』『モル・ブラン』、グレミヨン『船曳』『高原の情熱』『この空は君のもの』『ある女の恋』、レルビエ『海の人』、ヴィゴ『水泳選手タリス』

3 運動イマージュの完全な知覚へ至る道も可能であり、ヴェルトフらによってこれはなされた。 ヴェルトフ『世界の六分の一』、スノウ『レジオン・セントラル』、ランドウ『バルドフォリーズ』

●第6章 情動イマージュとクローズアップ 

情動イマージュとは、純粋な質あるいは力能(puissance)の表現としての表情である。それは純粋な潜在性となる。

2 グリフィス『世界の心』、ジョセフ・フォン・スタンバーグ『恋のページェント』『アナタハン』『上海ジェスチャー』『紐育の波止場』『マカオ』『上海特急』『嘆きの天使』、ベルイマン『不良少女モニカ』

3 ベルイマン『ペルソナ』『恥』『蛇の卵』『秋のソナタ』『冬の光』、ヴェンダース『さすらい』『都会のアリス』『アメリカの友人』

●第7章 行動イマージュ

行動イマージュにおいては、感情イマージュでは潜在性であった力能(puissance)が個別化された具体的な場所へと現実化されて、力(force)となる。

1 ベルイマン『叫びとささやき』『沈黙』『鏡の中の女』『ファニーとアレンクサンデル』、ドライヤー

2 ブレッソン『ブローニュの森の貴婦人たち』『田舎司祭の日記』『スリ』『ジャンヌ・ダルク裁判』『湖のランスロー』

3 ブレッソン『バルタザールどこへ行く』『ラルジャン』、ドライヤー『ヴァンパイア』『怒りの日』、ラング『タブウ』、スノウ『波長』、スタンバーグ『ブロンド・ヴィーナス』、ヴァルダ『ラ・ポワント・クールト』『幸福』、カサヴェテス『アメリカの影』『トゥー・レイト・ブルース』『フェイシズ』『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』『グロリア』、ヴィンセント・ミネリ『ヨランダと泥棒』『踊る海賊』『悪人と美女』『長い長いトレーラー』『炎の人ゴッホ』『恋の手ほどき』『黙示録の四騎士』(1961)『晴れた日に永遠が見える』、ランドウ

●第8章 欲動イマージュ

1 自然主義。シュトロハイム『愚かなる妻』『ケリー女王』『グリード』『アルプス颪』『メリー・ウィドー』『結婚行進曲』、ブニュエル『黄金時代』『忘れられた人々』『スサーナ』『この庭での死』『ナサリン』『ビリディアナ』『皆殺しの天使』『小間使いの日記』『銀河』『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』

2 

3 ヴィダー『白昼の決闘』『森の彼方に』『ルビイ』、ニコラス・レイ『危険な場所で』『大砂塵』『追われる男』『理由なき反抗』『暗黒街の女』『エヴァグレイズを渡る風』『バレン』『キング・オブ・キングス』、ジョセフ・ロージー『非情の時』『地獄に落ちた亡者たち』『召使』『唇からナイフ』『秘密の儀式』『夕なぎ』『風景の中の人物』『パリの灯は遠く』『ドン・ジョバンニ』『鱒』

●第9章 行動イマージュ 大形式

1 フォード、デミル『十誡』『サムソンとデリラ』、キートン『恋愛三代記』、ジョン・ヒューストン『アスファルト・ジャングル』、ホークス『暗黒街の顔役』『果てしなき蒼空』『ピラミッド』、ヴィダー『群衆』『街の風景』『麦秋』『アメリカン・ロマンス』

2 ラング『怪人マブゼ博士』『M』、チャップリン『サーカス』

3 カザン『波止場』『エデンの東』『ベビイ・ドール』『アメリカ・アメリカ』、アーサー・ペン『フォー・フレンズ』

●第10章 行動イマージュ 小形式

1 チャップリン『勇敢』『担え銃』『巴里の女性』『黄金狂時代』『街の灯』『モダンタイムス』『独裁者』『殺人狂時代』『ライムライト』『ニューヨークの王様』、ルビッチ『パッション』『寵姫ズムルン』『デセプション』『生活の設計』『蒼髭八人目の妻』『生きるべきか死ぬべきか』、ジョン・ヒューストン『マルタの鷹』

2 ラング『理由ある疑惑の彼方に』、ホークス『三つ数えろ』『赤い河』『僕は戦争花嫁』『紳士は金髪がお好き』『リオ・ブラボー』『エル・ドラド』『リオ・ロボ』『赤ちゃん教育』『教授と美女』、アンソニー・マン『裸の拍車』『西部の人』、ペキンパー『ダンディー少佐』『ワイルドパンチ』、ペン『小さな巨人』

3 キートン『マイホーム』『案山子』『ザ・ハイ・サイン』『鍛冶屋』『荒武者キートン』『探偵学入門』『海底王キートン』『西部成金』『健闘屋キートン』『将軍』『蒸気船』『カメラマン』

●第11章 形象または形式の変容

1 エイゼンシュタイン『メキシコ万歳』『ストライキ』

2 ヘルツォーク『闇と沈黙の国』ほか

3 黒沢、溝口

●第12章 行動イマージュの危機

1 関係イマージュにおいて問題となるのは、単発的な行動(action)ではなく、論理的な関係性をはらんだ行為(acte)である。 マルクス兄弟『けだもの組合』『マルクス一番乗り』、ヒッチコック『リング』『ゆすり』『39夜』『間諜最後の日』『サボタージュ』『海外特派員』『スミス夫妻』『疑惑の影』『汚名』『舞台恐怖症』『見知らぬ乗客』『私は告白する』『ダイヤルMを廻せ!』『ハリーの災難』『間違えられた男』『めまい』『北北西に進路を取れ』『ファミリー・プロット』

2  感覚運動連関の危機における新しいイマージュ(時間イマージュ)の出現

・イタリアのネオ・レアリスモ、フランスのヌーヴェルヴァーグ
・モンタージュは時間の非直接的(indirect) なイマージュである。
・感覚運動系の弛緩と解体
・opsigne と sonsigne:「感覚=運動的な結合をたちきった純粋な光学的・音響的なイマージュ。それは関係を逸脱し、運動の用語では表現されず、時間に直接開かれている」(1巻の巻末の用語集より)
・espace quelconque (any spaces whatever) の解放=真空にされた空間。あるいは部分の繋がりが固定していない空間。

散逸的状況、故意に弱められた脈絡、彷徨の形態、紋切り型の自覚、陰謀の告発。

アルトマン『ナッシュビル』『ウェディング』『クインテット』『パーフェクト・カップル』、スコセッシ『タクシー・ドライバー』、ルメット『バイ・バイ・ブレイブマン』『ショーンン・コネリー 盗聴作戦』『セルビコ』『狼たちの午後』『ネットワーク』『プリンス・オブ・シティ』、デュラック『スペインの祭』

3 リヴェット『修道女』『パリはわれらのもの』『狂気の愛』、デ・シーカ『自転車泥棒』

image-temps

オーソン・ウェルズ以後
・感覚運動系との関係や身体の現在の行動との関係を遮断されたもの
・時間は運動への従属から解放されて、直接に現れ、偽の運動をつくりだす。
・「純粋に光学的・音響的な状況」situation purement optique et sonore
・時間の蝶番がはずされて過去の諸層が共存しながら現れる(「市民ケーン」、「去年マリエンバードで」(レネ))=フラッシュバックとは無縁な記憶

リンク

www.syberberg.de ここではジーバーベルクのヒットラーが見られます。7時間です。信じられませんよね。

映像について何を語るか『シネマ』に関する論文が読めます。

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