『経験論と主体性』

「哲学においては、問と問の批判とはただひとつのことにすぎない。あるいは、こう言ってよければ、解答に対する批判というものはなく、ただ問題に対する批判があるだけだ。(中略)もし反論を唱えたいのであれば、裁かれるのはその問であって、それ以外のものではない。事実、その問のほかには何もありはしないからである」

「ヒューム」

「一種の民衆的で科学的な哲学であり、一つのポップ哲学である。そして、決定的な明快さを理想とするが、これは観念の明快さではなく、関係と作用の明快さである。『自然宗教についての対話』というみごとな作品はヒュームの死後(1779)に出るが、ここでは最も複雑なものと最も明快なものとがとりもどされる。多分、これは哲学における真の対話の唯一の例である。というのはここにいるのは二人の人物ではなくて三人の人物であり、彼らは一義的な役割をもたず、暫定的な連繋を結び、立ち切り、和解する、等々。デメアは啓示宗教を主張し、クレアンテスは自然宗教を代表し、フィロは懐疑論者である。ヒューム=フィロのユーモアは、諸<段階>を分ける懐疑論の名のもとに人々すべてを一致させる仕方だけなのではなく、すでに、18世紀の支配的な主張とさえ袂を分って、未来の思想を先取りして示すためのものなのである」

 


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