『批評と臨床』守中高明・谷昌親訳、河出書房新社、2002.10.

69頁「フロイトが示したのは、義務がこの意味において興味や好みの断念を前提とするとすれば、法はいっそう強くかつ厳格に行使されるので、われわれの断念がそれだけ深いものとなるということである。われわれが正確にそれを遵守すればするほど、法はいっそう仮借なきものとなるのである」
Freud a montre que, si le devoir suppose en ce sens un renoncement aux interets et inclinations, la loi s'exercera d'autant plus fort et rigoureusement que notre renoncement sera profond. Elle se fait donc d'autant plus severe que nous l'observons avec exactitude.
p.46

「ところがこの私たちは、この私たちはたかだか関係の『論理』(ロジック)のなかで生きているにすぎない(中略)。生身の関係におけるこの離接を私たちは〔論理的・抽象的な〕たんなる『あれかこれか』にしてしまう。連結は、私たちはそれを原因から結果への、あるいは原理〔始点〕から帰結〔終点〕への関係に変えてしまう。この生きて流れている、流れが結び合う世界を私たちは抽象して、主語〔主体〕、目的語〔対象〕、述語、論理的諸関係からなる、生気を欠いた複製の世界をつくりあげた。私たちはそうやって審判〔判断〕のシステムを抽出してきたのだった。問題は社会と自然、人工的と自然的とを対立させることにあるのではない。人為かどうかなど大したことではない。自然の生身の関わり合いがただの論理的関係に翻訳され、象徴がただのイメージに、流れがただの線分に翻訳されるそのたびに、また生きたやりとりがただの『主‐客』の関係に切り抜かれるそのたびに、世界は死ぬのだと、私たちは言わなければならないだろう。そしてそのたびに衆の心、集団の心もまた、民衆の自我のうちにせよ、専制君主の自我のうちにせよ、一個の〈自我〉のうちに閉じ込められてしまうのであると」(第6章「ニーチェと聖パウロ、ロレンスとパトモスのヨハネ」)

「おのれを一つの自我として考えることをやめ、おのれを一つの流れとして生きること。おのれの外をまた内を流れる他のさまざまな流れと関わりあいながら流れている一つの流れとして、流れの集まりとして生きること」(第6章「ニーチェと聖パウロ、ロレンスとパトモスのヨハネ」)

「裁きは、あらゆる新たなる存在様態が到来するのを妨げてしまう。(中略)裁くのではなく、存在させること。(中略)われわれは、他の存在者たちを裁く必要はない。そうではなく、それらがわれわれにふさわしいかふさわしくないか、つまり、それらがわれわれに力をもたらしてくれるか、それともわれわれを戦争の悲惨や夢の貧しさや組織化の厳格さに差し向けてしまうかを、感じ取ることこそが必要なのだ」(第15章「裁きと訣別するために」)

2002L'Île déserte et autres textes, Editions de Minuit

1. Causes et raisons des îles désertes
2. Jean Hyppolite, Logique et existence
3. Instincts et institutions
4. Bergson, 1859-1941
5. La conception de la différence chez Bergson


ホーム