哲学入門の部屋

 哲学とは何なのか、という問いを哲学には入門しようとされる人はもたれるでしょう。しかしこれは一概には解答を与えられない問題です。哲学とは物理学や心理学と同じく学問の一種ですが、しかしそれは学問以前の知的な行為、つまり思想という面も持っているからです。これはどういうことでしょう。まず学問という側面ですが、学問とはその対象領域によって分けられます。ということなら、哲学の領域とはこの現実そのものと言えます。現実の総体とはいったい何なのか、それにどうやって近づくことが出来るのか、そういったことがまずは問題なわけです。しかしこれはひどく漠然とした定義だと思われることでしょう。これはその通りで、実際、哲学が扱おうとする領域はあまりにも広かったので、やがてさまざまな精密科学にその対象領域を奪われていったと考えることも出来ます。では、哲学は諸学問を生み出したひとつの学問であったという歴史的な価値しかもっていないのでしょうか。そんなことはありません。哲学には第二の側面、諸学問以前のある思想、つまり諸学問の前提となる考え方を提供するという側面もあります。これは誤解しやすいのですが、諸学問以前と言ったからといってそれそのものが学問にならないというわけではありません。哲学とはそのほかの学問そのものを形成しているような考え方を考えるものでもあり、それはある独立した学問として成り立ちうるのです。哲学といえるような考え方や思想はほかの学問のうちにも見いだすことは出来ますが、それを取り集めてより基本的なものとして考えるのが哲学と言えるかもしれません。

 しかしこれはまだまだあいまいな定義にしか過ぎません。哲学とはどのような性質を持っているのでしょうか。たとえば同じくふるい起源をもつ学問として数学があります(数学のほうがよりふるいのですが)。哲学と数学の違いは何でしょう。どちらも抽象的で、原理的なことを思考します。しかし数学は公理系、と呼ばれるように、ある系では通用するが、ある系では通用しないといった定理があります。そして異なる公理系のあいだに原理的な優劣はありませんね。哲学においては、異なる哲学者によって考え方は異なりますが、ある哲学者の思想全体において、公理系のような、ある領域では通用するがそのほかではそうではない、といったような思想が提出されているということはありません。つまり、数学に置いて扱われるのは純粋な思考の世界といえます。こう思考すればこうなる、ああ思考すればああなる。その思考の前提はある程度自由に設定しても、その公理の中で整合性がとれていれば問題はないのです。しかし哲学は、そうした論理的な操作だけでできあがっているわけではないのです。これはどういうことでしょう。つまり、いいですか、哲学ではむしろ、どのように考えようとするのか、その意志の部分がひどく大きな部分を占めるのです。もちろん、どの哲学者も現実を考えようとするのですが、そもそも人によって現実のとらえ方っていろいろ違います。いや、そうなんですってば。ある人は神さまがこの現実を作り出していると考えるかもしれないし、現実を生み出しているのは私だ、と考える人もいるかもしれないし、いやいや現実とは他人が私に押しつけてくるものでしかない、と考える人もいるでしょう。あるいは、そもそも現実なんて思考することなんてできはしない、と考える人もいるかもしれませんね(そういう立場の哲学ももありえないことはありません)。

 ……では哲学とは個人の考え方の違いが反映されたものにすぎないんですか、という疑問は当然あるでしょう。なるほど。ちょっといいすぎたかもしれません。上で一番いいたかったことは、哲学とは何らかの「真実」を想定しないことにはありえないと言いたかったのです。しかし、この「真実」が人によって異なってくるのは否めないところです。では哲学は、恣意的な学問にすぎないのでしょうか。

 ここで問題の核心にはいります。最低限、次のことは言えるでしょう。哲学とはこの現実を理解しようとする営為である、と。そのぞれぞれの営為がいくらかの恣意性を持っていることは否めないですが、しかしそこで見いだされたさまざまな考え方が不毛であるわけはありません。それは現実を理解するための完全な体系を私たちに与えてくれるという点で生産的であると言うよりも、いままで私たちが気づいていなかったことを教えてくれ、いままで知らず知らずのうちに思いこんでいたたくさんの誤った考え方を改めてくれ、より現実を繊細に見つめることを、あるいはより人間をよく理解することを可能にしてくれる、という点にこそ哲学の晃洋はあるようと思われます。そうすると、哲学は芸術により近いものだと言うことが出来るかもしれません。その機能としては、という意味で。

 哲学は結局、哲学の成典と言われるような原典を読まないことには身に付きません。いろいろな解説者は便利ですが、それだけを読んでも哲学を理解し、実践にいかすことはできないでしょう。たとえば、いくらバッハについての解説者を読んでも実際に楽譜が読めるようになるわけでもないし、演奏ができるようになるわけでもなく、また実際に楽譜を読むことでしか直接には理解できない、さまざまなバッハの特色や、個々の曲で用いられている理論なども理解できないでしょう。哲学もそれと同じで、原典を読まないことには、自分で哲学を使いこなすところまではいかず、なんだか面白い考え方があることを知るだけで、それは、日常を繰り返していくうちに、知らず知らずのうちに身に付いている常識的なものの見方にやがてかき消されていって、いつかは忘れ去られていくことでしょう。本を読み、そこでいろいろな概念がどのように、私たちの現実をとらえているのかを理解し、それらの概念がどんな世界の見方を導くのかをたどっていき、さらにはそれがどう実践と関係するのか、ということをじっくりと時間をかけて納得しないことには、哲学は理解できません。そうした思考の歩みはなかなか前に進まないものですが、やがては世界の驚くべき認識へと至るはずです。

以下は文献案内です。


ギリシャ哲学

ニーチェ「ギリシア人の悲劇時代における哲学の誕生」(『悲劇の誕生』ニーチェ全集第2巻、ちくま学芸文庫、筑摩書房、1993/01に所収)

哲学入門として最適! 哲学者でなければ哲学を論じても哲学にならないのだけど、やはりニーチェは哲学者なのですよ。

ジャン・ブラン『ソクラテス以前の哲学鈴木 幹也訳、文庫クセジュ、478、白水社、1971

ニーチェ色の強い解釈のあく抜きに使いましょう。折衷的な解釈は不満だが……

シャトレ『西洋哲学の知1 ギリシャ哲学』白水社、

ブレイエ『哲学の歴史』1ギリシャの哲学、2ヘレニズム・ローマ時代、筑摩書房、1985

広川洋一 『ソクラテス以前の哲学者』講談社学術文庫、1997/11.

コーンフォード『ソクラテス以前以後』山田道夫、岩波文庫、1995/12

ジャン・ポール・デュモン『ギリシャ哲学 』有田 潤訳、白水社、文庫クセジュ 350

古東『現代思想としてのギリシア哲学』講談社、1998

田中美知太郎『ソフィスト』講談社学術文庫、

山川偉也『古代ギリシアの思想』講談社学術文庫、

斎藤忍随『プラトン以前の哲学者たち―ギリシア哲学史講義』岩波書店、

加藤信朗『ギリシア哲学史』東京大学出版会、1996

プラトン(B.C.428/7-348/7)ギリシャ  

『国家』特に六巻、七巻

藤沢令夫 プラトンの哲学 』岩波新書

ハイデガーや分析哲学者によるプラトン理解に真っ向から抗してプラトンの思想をイデア論を中心に宇宙論まで解説した良書。

R.S. ブラック『プラトン入門 』岩波文庫、1992

斎藤忍随プラトン 』岩波新書、1972

斎藤忍随プラトン 』講談社学術文庫、

ジャン・ブラン『プラトン』クセジュ

『プラトン』清水書院

納富『プラトン 哲学者とは何か』NHK出版、

アリストテレス(B.C.384-322)ギリシャ

アリストテレス入門(ちくま新書 301)

『アリストテレス』清水書院、

トマス=アクィナス

稲垣『トマス=アクィナス』清水書院、

稲垣『トマス・アクィナス』講談社学術文庫

『トマス哲学入門』クセジュ、

デカルト

『省察』

『デカルトと合理主義』クセジュ、白水社

『デカルト』清水書院

小泉義之『デカルト=哲学のすすめ』  講談社現代新書、1996

斎藤『デカルト 我思うのは誰か』NHK出版、2003

スピノザ(1632-77)ラテン

『エチカ』

工藤喜作『人と思想58 スピノザ』清水書院(「人と思想」シリーズ)、1980

ライプニッツ(1646-1716)ラテン&フランス

『モナドロジー』

ルネ・ブーブレス『ライプニッツ』クセジュ、白水社、1996

山内志朗『ライプニッツ なぜ私は世界にひとりしかいないのか』(シリーズ・哲学のエッセンス)NHK出版、2003

バークリー

Three Dialogues between Hylas and Philonous

ヒューム(1711-1776)英語
『人間本性論』『自然宗教についての対話』

泉谷周三郎『ヒューム』清水書院(「人と思想」シリーズ)、1988

カント(1724-1804)ドイツ

Prolegomena to any Future Metaphysic

岩崎武雄『カント「純粋理性批判」の研究』、勁草書房、1965

第一批判の注解。カント哲学の問題点をも鋭く指摘する良書。

黒崎政男『カント『純粋理性批判』入門』講談社選書メチエ、2000年

『カント哲学』クセジュ、白水社、

『カント』清水書院

熊野純彦『カント 世界の限界を経験することは可能か』NHK出版

ヘーゲル(1770-1831)ドイツ
『キリスト教の精神とその運命』『精神現象学』『大論理学』『法哲学』『哲学入門』

『ヘーゲル哲学』クセジュ、

城塚登『ヘーゲル』講談社学術文庫、

『ヘーゲル』清水書院

加藤 尚武『ヘーゲル「精神現象学」入門』有斐閣選書

長谷川 宏『ヘーゲル『精神現象学』入門』講談社選書メチエ、1999

ニーチェ(1844-1900)ドイツ
『悲劇の誕生』『悦ばしき知識』『善悪の彼岸』『ツァラトゥストラ』『この人を見よ』

竹田青嗣『ニーチェ入門』ちくま新書、1994年

『ニーチェ』清水書院

永井均『これがニーチェだ』 講談社現代新書 、1998

神崎繁『ニーチェ どうして同情してはいけないのか』NHK出版、2002

フロイト(1856-1939)ドイツ
『ヒステリー研究』『夢解釈』『性欲論三篇』『症例研究』『快感原則の彼岸』『自我とエス』「否定」

鈴木晶『フロイトからユングへ』NHKライブラリー、1999年

鈴木晶『「精神分析入門」を読む』NHKライブラリー、2000年

ベルクソン(1859-1941)フランス
『意識に直接与えられたものについての試論』『物質と記憶』『創造的進化』『道徳と宗教の二源泉』『思想と動くもの』

『ベルクソン』クセジュ、

市川浩『ベルクソン』 講談社学術文庫、1991

フッサール(1859-1938)ドイツ
『算術の哲学』『論理学研究I、II』『イデーンI、II、III』『内的時間意識の現象学』『形式的論理学と超越論的論理学』『第一哲学』『経験と判断』『受動的総合の分析』『デカルト的省察』『危機』

ハイデガー(1889-1976)ドイツ
『存在と時間』『カントと形而上学の問題』『道標』『杣道』『形而上学入門』『ニーチェ』『同一性と差異』『言葉への途上』

古東哲明『ハイデガー=存在神秘の哲学』 講談社現代新書、2002

北川東子『ハイデガー 存在の謎について考える』NHK出版、2002

ドゥルーズ(1925-1995)フランス
『経験論と主体性』『ベルクソンの哲学』『ニーチェと哲学』『カントの批判哲学』『差異と反復』『スピノザと表現の問題』『意味の論理学』『シネマ』『感覚の論理学』『襞、ライプニッツとバロック』

浅田彰『構造と力』剄草書房、1983

船木亨『ドゥルーズ』清水書院(人と思想シリーズ)、1994

宇野邦一『ドゥルーズ 流動の哲学』講談社選書メチエ、2001

檜垣立哉『ドゥルーズ 解けない問いを生きる』NHK出版


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